2016年5月30日月曜日

ツナイトとかTSUNAとか

わかる人にだけわかっていただければいいのですが、ストリートファイターIIというゲームが小学生のときに流行りまして、波動拳という技は進行方向が右ならば↓↘→+パンチボタンだったんですけど、それより難しい技が→↓↘→+パンチボタンで繰り出される昇竜拳なのですが、昇竜拳の方が先に使えるようになったことで有名な竹内一馬です。




五月が終わっちゃいますね。時間が経つのは当たり前のことですけど、四季を感じることができるというのは幸せですよね。春夏秋冬だと、汗はかきますが気分的には夏が好きです。でも肉体的には汗をかかない冬が好きです。



最近気付いたんですけど、パソコンでカタカタ文字を打っていると、句読点が少なくなりがちですね。仕事のメールなんかも改行することで句読点を付けた気になっていますが、文章で考えると句読点を入れた方がいいように思います。この辺のことは学がないために何が正解かわかりませんが、念のために何度か読み返して、スムーズに読める文章なのか毎回確認はしているのですが、元々の性分が雑なため、思うようにいっていないのも事実。こればかりは日々稽古ですね。



相撲情報誌TSUNAの巻末には編集後記と我々が呼んでいる「ちょこっとコメント」を書いているページがあります。そこの延長線のようなものがこのブログだと思ってください。



6月になると6日に阿佐ケ谷ロフトAで両国での本場所後恒例になってきている【抱きしめてツナイト】という相撲のトークイベントを開催します。




「TSUNAナイトでツナイトにして上手く何かと引っ掛けたいなぁ。例えばツナイト2とかアダルトな感じがいい」

という話から
「さすがにエロコンテンツのあったテレビ番組の名前はマズイな」



となり、結局のところ「抱きしめてツナイト」に落ち着いたわけですが、このツナイトも今となっては恒例行事のようになってはいますが、最初はやりたくなくてやりたくなくて仕方ありませんでした。



たまたま、阿佐ケ谷ロフトAの店長さんから連絡がきてたのですが、本当に最初はお断りするつもりでした。なぜなら僕たちはトークイベントをやったことがないからです。人前で長時間、相撲のことを喋るなんてことは恐怖でしかなかった。バンドマン時代のライブでは観客が0人なんてことも経験していたので、当然集客には自信なんてこれっぽっちもなかったわけですが、蓋を開けてみたら初回から今まで全て満員御礼。ありがたいことに最近では発売開始後すぐに札止めとなる状況が続いております。



ツナイトを始めて思ったことは
「こんなにも相撲の話を聞きたい人がいるんだ」

ということ。毎回反省点もありますが、SNSなどで「次も楽しみにしている」という声は確実に届いてて、素直にそれがあるからこそやれているところはあります。



僕は歌もベースもヘタクソでした。だから音楽で成功することができなかったのでしょう。そして新たに始めたTSUNA作り。恥ずかしながら僕は所謂「頭のいい学校」の出ではありません。むしろ三重県内ではかなり低い方の偏差値の学校でした。そんな高校でさらに僕はまったく勉強もせず白球だけを追い掛けて、夢見て始めたバンドはいつの間にか辞めていて、気が付いたら勝算なんてないのにフリーペーパーを作っています。



だからというわけではないですが、文章もヘタクソ(むしろ何が上手い文章かすらわかってません)、フリーペーパー作りの基本すら勉強したことはないです。


でも、そんな僕が一番気を付けていることは「なるべくわかりやすく」「誰でもわかるように」ここだけは崩したくないと思っています。そんなフリーペーパーなんです。TSUNAって。




トークイベントもそう。人前で喋るプロと比べたら顔じゃない(相撲用語でまだまだ身の丈にあっていないという意)ですが、それでも来てくれた人に少しでも相撲の良さを知ってもらって、相撲ファンの兄弟子たちにはもっと相撲を好きになってもらえるように、精一杯やるだけなんです。



人間臭い。そんなフリーペーパーなんですよ。TSUNAって。
僕はそう思います。


どうぞこれからもご贔屓によろしくお願いします。
まだツナイトに来てない方、まだTSUNAを読んだことがない方にいつか僕の思いが届いてくれたら嬉しいです。


頻繁に更新できるよう頑張ります。


それではまた。













2016年5月26日木曜日

仰天エピソードとタバコ

相撲情報誌TSUNAを作り始めてそろそろ4年の歳月が流れようとしています。



TSUNAは2012年9月創刊なのですが、それよりも一年ほど前から取材を始めていたので、実際に相撲の世界に身を投じて4年は経ったのではないかと思います。紆余曲折ありましたが今のところ作り続けてよかったというのが本音です。



最初は川口市にあるキャメルスタジオという音楽のリハーサルスタジオを経営している野村と二人で始めましたが、正直なところフリーペーパー作りは全然儲からないし、彼も就職をしてしまったのでフリーランスで仕事を受けることがなくなったため、やがて僕一人となるわけですが、毎号毎号資金繰りはたいへんで、今でもたいへんなんですよ。



創刊当初よりは良くなったものの依然厳しい状況です。かと言って僕が高級車を欲しいわけでもないですし、高級な腕時計が欲しいタイプの人間ではなく、車は動けばいい、時間がわかればいいという感覚の人間なので、それはそれでよかったのかなと思っています。世の中簡単な仕事なんてないんですよね。世間知らずの僕がここ数年で痛感したことでした。





さて、編集作業も、執筆作業もやったことがない僕がTSUNAを作り始め、取材をするごとに毎回「まじかよ!?」って思わされたのが相撲界。いったいどんなことに驚いてきたのか?まずはこちら






体重計です。250キロまで計測できます。ここ最近は相撲協会が健康診断で使用する体重計もデジタルのものなのだそうですが、相撲部屋には昔からのアナログ体重計のあるところが多いです。画像は時津風部屋にある体重計なのですが、北太樹関と飲んだときのこと、少し脚色されてはいると思いますが、

「大露羅は250キロのやつで量れないから300キロまでのマグロの重さを量る体重計を築地で借りてきて量ったことがある」


と言っていました。笑



相撲をあまり知らない人のために1つずつ説明していきますと、まずこの話を聞いたのが現在の山響部屋(当時は北の湖部屋)に在籍する北太樹関という関取。大露羅とは山響部屋所属の力士で現役最重量の力士のことです。平成28年5月16日発売の大相撲ジャーナルによる全相撲人名鑑によりますと275キロだそうです。




ね?話のスケールが大きすぎて、まじかよ!?ってなるでしょ?しかもどこからどこまでが本当なのかもわからなくなるんですよ。だって体重計は250キロまでだから275キロの大露羅さんを計測できないわけですよ。そうなると北太樹関が言ってることを信じるしかなくなるんですよね。笑



この真偽はまた一緒に食事をさせていただきたときにでも確認してきたいと思います。






話は変わって、僕は愛煙家です。



昨今の禁煙ブームにより肩身を狭くしている人のひとりです。



最近では長い間タバコを吸っていた友人も久しぶりに再会したらタバコを止めていました。タバコは百害あって一利なしと僕が子供の頃から言われています。



体には良くないものだとわかっているのですが、僕はタバコが好きです。なんなら今吸っている銘柄は10年以上同じものを吸っています。



アスリートの喫煙について少し書こうかなと思うのですが、プロのアスリートというのはスポンサーがいるため基本的にマイナスイメージになることを避けていかなくてはいけません。そこで疑問なのですが、喫煙はマイナスイメージなのでしょうか?



そもそもいつからマイナスイメージになってしまったのでしょうか?


こちら

※相撲博物館提供

浮世絵ですよね。これ阿武枩(松)と書かれた人物が手にしているのはキセルなんです。当時のタバコですよね。昔は今ほど喫煙に対するマイナスイメージがなかったので、こうして浮世絵にも喫煙しているシーンが書かれていたりするんですよね。何かの映像で観たことがあるのですが、白黒の映像だったので昭和の映像だったと思います。ファンの方にサインを求められたので色紙にサインをしている力士(たしか現役の北の富士さん)がくわえタバコでサインを書いていたんですよ。



愛煙家の僕としては「かっこいい!」「ハードボイルドやな!」となるのですが、最近の世間はそうは言ってくれなそうな雰囲気がぷんぷんしてますよね。




現役生活21年、江戸本場所在籍36場所中(大関在位27場所)で、通算黒星が僅か10・勝率.962で、大相撲史上未曾有の最強力士とされている雷電爲右エ門が使っていた煙管などが江戸東京博物館で見れたこともありました。



僕個人の考えですけど、相撲界にいたってはそんなに喫煙によるマイナスイメージと繋がらない気もするし、それをかっこいいとすら思えるので、力士側もあんまり気を使わないで欲しいなとは思うんですよね。



タバコを吸っている僕が言っても何の足しにもならないでしょうが。。。笑



議論するほどのことでもないし、最近肩身の狭い思いをしている僕のボヤキだと思ってください。



今日はここで打ち止めにします。



それでは。

2016年5月24日火曜日

平成28年大相撲夏場所

本場所が終わってしまいました。。。



なんだか寂しいですね。でも二ヶ月後にはまた本場所があります!それまでスモロス解消になるかはわかりませんが、このブログもちょくちょく更新していこうかと思っております。



終わってみてば横綱白鵬関の強さをまざまざと見せつけられた。そんな本場所でしたね。千秋楽での鶴竜関との一番は決まり手のうっちゃりを狙いにいったような気さえしました。



スポナビライブでの放送終了後に能町さんと意見が合致し、西岩親方に尋ねたところ「さすがにそこまでは狙ってないんじゃないですか?」と仰ってはいましたが、真相は横綱本人にしかわからないので、この詮索はここまでとさせていただきます。




横綱白鵬関の圧勝ではありましたが、来場所以降楽しみな面も出てきましたね。僕にとっては十両がまさにそれでした。




前頭8枚目まで上り詰めた千代の国関でしたが、度重なるケガで一時は三段目まで番付を落としていましたが、今場所は見事十両優勝を果たし、帰り入幕が濃厚となりました。その他に佐藤、宇良が新十両でしたが二桁勝利をし優勝争いを面白くしてくれました。



本場所後の水曜日に行われる番付編成会議でどのような結果になるのか楽しみでもあります。



山響部屋の北播磨関念願の新入幕はあるのか?
僕と同郷(志摩市なので厳密には隣町)の木瀬部屋濱口の新十両は?


などなど、新しい楽しみもありますが番付発表にはもちろん番付を落とす人もいるわけで、気がかりな力士もたくさんいます。



僕が何かをしてどうにかなるなら何とかしたいくらいですが、そこは勝負の世界です。強ければ番付は上がり、負けてしまえば番付は下がる。残酷ですが勝負の世界とはそういうものなですね。




今、相撲界は場所休みという一週間の休暇に入っています。


場所休み中は「ちゃんこも作らない」「稽古もしない」「マゲも結わない」そうです。



以前、テレビに出演することの多い豊ノ島関に話を聞いた時には「場所休み中は床山さんも休みなので、チョンマゲが崩れないように、出掛ける前にいつもより多めに鬢付け油を付ける」とのことでした。どうしてもチョンマゲを結わなくてはいけない時は、休暇中の床山さんに部屋まで来てもらうため御礼のご祝儀を渡すことも少なくないそうです。



熱戦が続く本場所とは打って変わって、まったく何もしないというのもオンとオフが激しくて面白いですよね。



中には、場所休みを利用して帰省する力士もいるようです。ただ、お盆や正月ではないため、地元に帰っても友達と都合が合わず家族で過ごすことも多いようです。中にはそのまま相撲部屋に戻らなくなる若い衆もいるとかいないとか。笑



どちらにせよ、力士の皆さんは厳しい世界で生きていることに変わりはありません。その世界に魅了されて我々は本場所を観戦しているわけで、いつ何時もリスペクトの気持ちをもって大相撲を好きでいることが粋なファンへの近道なんじゃないかなと最近は強く思います。




では、今場所撮った写真でお別れです。





2016年5月22日日曜日

明日はいよいよ千秋楽

このブログを更新する少し前に大相撲夏場所の幕内優勝が十四日目にして決まりました。



優勝は横綱白鵬関。



しかし白鵬関は本当に強いですね。もちろん今日の対戦相手だった日馬富士関も強いんです。本当に素晴らしい一番でした。



千秋楽を待たずして優勝が決まってしまうということは少し寂しいようにも感じますが、最近つくづく思うんですけど、大相撲を競技やスポーツという観点で観てしまうと少しつまらなく思える時があるように思うんです。



もちろん優勝の行方は気になります。ですが、今場所のように千秋楽は消化試合みたいになってしまうのが少し嫌なんですね。どうせ好きになった相撲なんだから最後まで楽しみたいじゃないですか。



相撲って何?って質問をされたら迷わず「お祭り」と答えるようにしています。事実、相撲は古来から五穀豊穣を祈願するお祭りとして行われてきたわけですから、だから個人的には十五日間連続のフェスみたいな気持ちで本場所を観るようにしています。



もちろん贔屓の力士が勝てば嬉しいし、負ければ残念な気持ちになりはしますが、それでも十五日間が夢だったような、またすぐにこの「お祭り」が開催される。その日まで頑張ろうという気持ちになるのです。



僭越ながら、本日YouTubeにTSUNAのフォトコレクションの一部をアップしました。音楽の好みは僕のものなので違和感を感じる人もいるかと思いますが、一応海外の人に対して大相撲の魅力を少しでも伝えることができればなと思い作らせていただきました。


TSUNAフォトコレクション



お時間ある時にでも御覧になってください。サウンドはイタリアのバンドでANTHEMというバンドです。曲調だけは大好きでなんとなくイタリアのバンドにしてみました。




これで少しでも海外の人が相撲に興味を持ってもらえたらなって思うので、気に入ってくれたら拡散よろしくお願いします。




しかし、稀勢の里関は惜しかったですね。もちろん今場所で綱取りというのは無いでしょうが、それでも心を強く刺激してくれる相撲でしたね。もちろん叶いはしないのですが、こういう時だからこそ本場所終わりに晩酌してみたいです。いったい今何を考えているのか、どんな気持ちでいるのか、一番の理解者であるとするなら、その気持を聞いてみたいものです。




それでも明日はありますからね。千秋楽にいい相撲を取って名古屋場所に綱取りを繋げて欲しいなと心底思います。



明日は千秋楽で国技館へ行くため今日はそろそろ寝ます。


おやすみなさい。







2016年5月20日金曜日

スタートライン

どうも。


少し間隔が空いてしまいました。このまま放置すれば三日坊主ならぬ四日坊主になりかねないので、今夜は更新させていただきます。



書くことがなかったのか?と言われたら答えはNOで、少し忙しかったと言い訳させてください。



いやぁ、しかし本場所は盛り上がってますね。



と言っても、元々の人気に戻ったというのが前々から僕が言ってたことなのですが、相撲ってそもそも人気があるものですからね。ポテンシャルがあったと言いますか、そんなふうに思います。



でも、古くからずっと相撲を観ている、いわゆる古参ファンの方々は「にわかファンが増えた」「最近のファンはマナーがなっていない」なんて言ってるのを聞いたりするので、以前のブームだった頃にソックリそのまま戻ったのではなく、多少の循環もありながら新規客を獲得してきた結果なのかなぁと勝手に思っております。



今回はTSUNAの苦労話なんて辛気臭い話は無しにして、本場所のことを少し書こうかなと思います。



本場所十二日目が終了した時点で

全勝 白鵬関、稀勢の里関
2敗  日馬富士関

そして十三日目に白鵬-稀勢の里戦が組まれました。


本来、千秋楽結びの一番というのは横綱対決が組まれるのですが、十一日目終了時点で「もしかしたら割を崩して、千秋楽結びの一番は白鵬-稀勢の里になるのか?」と予想する声も聞こえましたが、そうではなくなりましたね。



稀勢の里関初の優勝を期待する声をよく耳にするので僕が知ってる話を書かせていただくと、昨年末に発行された大相撲ぴあというムック本を手がけたとき、僕は稀勢の里関にインタビューをさせていただきました。



内容は大相撲ぴあを買って確認していただきたいのですが、今年のニコニコ超会議で少し話しましたが、きっとめちゃくちゃ優勝したいんですよね。僕はこのブログで書いたように相撲ファン歴が長いわけでもないです。むしろここ6年くらいのもんですよ。そこまで専門誌を読み漁っているわけでもないし、独自の理解で楽しんできたので、過去にどこかで出ていたかもよくわからないのですが、稀勢の里関はあまり優勝というフレーズを明言しているイメージはなかったんですね。



だからこそ聞きたかったんですけど、大相撲ぴあで2016年は優勝したいと言ってくれた時にすごく嬉しかったんです。もちろん勝負師だから勝ちたいのは当たり前なんでしょうけど、口に出してくれた瞬間に僕も心を掴まれたところもあります。



そのインタビューのときに記事にはならなかったけど、稀勢の里関が好きな曲を知ることができたんですね。それが馬場俊英さんのスタートラインという曲でした。その歌詞をよく知ってほしいからオフィシャルじゃないけどリリックビデオっぽくなってる動画のリンクを貼っておきます。いい曲なんですよ。



カラオケでも歌うみたいだし、本当に普段からよく聴くそうです。素敵ですよね。そんな話を聞いてしまったら胸が熱くなってしまいました。夢が叶う瞬間を見てみたいものです。



しかし、対する白鵬関もとてつもなく高い壁です。過去の対戦成績は55回対戦していて白鵬関が42勝、稀勢の里関が13勝なので数字の上でも白鵬関が圧倒しています。稀勢の里関の勝率は23.636%です。しかし所詮数字は数字です。勝負事が計算だけで成り立つならそんな楽な話はありません。何が起こるかわからない。それが真剣勝負というもの。



とにかく明日の大相撲は楽しみで仕方ないです。それに十両の優勝争いも接戦で面白いんですよね。佐藤、宇良、千代の国、朝弁慶の四人の誰が優勝するのか楽しみです。



今日はこの辺りで打ち止めにしておきます。



それではまた。






2016年5月13日金曜日

奇跡の再会と崩れた均衡

酉年生まれの竹内一馬です。



相撲界では2本足で立つ鶏が縁起が良いとされており、ちゃんこ鍋には鶏肉を使うことがほとんどだそうです。



今回は僕が生きる希望を与えてもらえた2010年九州場所より少し前に起こった偶然を書いていきますね。



2004年末頃、亀戸の路上で僕が歌っていた「朋輩」がCD化させてあげるという奇特な音楽事務所が現れまして、目の前にぶら下げられた人参に、これ以上ない食いつきをみせる竹内一馬。当時住んでいた江東区亀戸から所属事務所が近くなる中野区東中野へと引っ越しをします。今回は奮発してユニットバス付きです。銭湯通いしなくてよくなりました。



しかし2005年2月に発売された朋輩のCDも全く売れず事務所の人たちも困り果てていました。顔文字で表すと(-_-)こんな目で僕達を見てくれていました。



当時のバンドメンバーと緊急会議を開き「こうなったら知人に電話しまくって1枚でも多く売るしかない!」という結論に至り、地元の友人、親、友達の元カレ、初恋のあの子まで…必死で電話営業をしていました。



その中に豊ノ島関もいるわけなのですが、この時既に彼は幕内力士。少し前まで路上で朋輩を聴いてくれていたのに、なんだかちょっと昇進が早すぎて遠い存在に感じ、電話をする直前にためらったのを覚えています。



いくら仲が良くても幕内力士に自分達の売れていないCD買ってくれないか?なんて図々しくて普通の思考回路なら言えません。しかし僕がバカで良かった。電話しちゃうんですよ。



そしてタイミング良く彼も電話に出るんですよ。今思えばとても失礼な事をしていたのですが当時24歳だった僕も必死でした。




僕「あの朋輩って曲あるやん?あの曲CDになったんよ。それでもし良かったら…かっ…買ってくれんかな?」←はいバカ



豊「ホントに?おめでとう!100枚買うわ!」



最初僕は冗談だと思っていましたが、豪快な豊ノ島関は本当に100枚買ってくれたのです。しかも当時関取衆や若い衆に「僕の友達が出したCDなんですよ」と言い、配ってくれたのだそうです。



事務所の人もビックリしていましたが彼のおかげで僕達は首の皮一枚で生き残ったわけです。




豊ノ島関にお礼を言おうと思い、携帯電話を手にした時に悲劇が起こります。




携帯を洗濯機の中へ落としてしまうのです。これにより全ての連絡先が消えてしまいました。今思えば直接お礼を言いに時津風部屋まで行けば良かったのですが、そこまで頭が回らないのが24歳の僕。




そのまま月日は流れ「朋輩」を歌っていたバンドは一瞬の日の目も見ずに解散。時は2008年、気が付けば豊ノ島関は三役も経験しています。出会った頃は同じような境遇だったのに日々の稽古のおかげで彼の夢への距離と、僕の夢への距離の差は開くばかり。依然連絡も取れず僕はそれでも自分の夢に向かいアルバイトと音楽活動を続けます。



話は変わり、携帯電話やインターネット、20年前とは比べ物にならないくらい世の中の通信手段は進化しました。皆さんの周りでもtwitter、LINE、facebookなどなどSNSの名前を耳にすることもあると思います。



2008年頃僕はmixiというSNSをやり始めていて、そこで自分が1981年6月20日生まれなので「1981年6月20日生まれの人」というコミュニティと呼ばれるグループを作り管理人をしていました。



最初は「何人くらい同じ生年月日の人がいるんだろう?」という軽い気持ちで始めたわけですがコミュニティ参加者は200人を超え当初予想していた人数を多く上回ったのです。



そのコミュニティ参加者の中に当然同じ生年月日で、さらに同じ竹内という苗字で、さらに同じく音楽活動をやっている女性がいたのです。



当たり前ですがネット上で知った存在だったので面識はないのですが、その人が更新しているブログの画像やライブ映像を観ると歌も上手だし美人だし、僕は勝手に「この子と結婚するならプロポーズの言葉は苗字も変わらないし誕生日パーティーも一回で盛大にやろうね。子供は音楽やってくれるかな?ってこところだな」なんてあらぬ妄想を膨らませていたのですが、無残にも彼女が更新したブログでその妄想は打ち砕かれます。



久しぶりにmixiを開いたので同じ誕生日で美人の竹内さんはどんな近況かな?と思い彼女のページを覗いてみると「☆ご報告☆」というタイトルのブログが更新されていた。そのブログは1ヶ月前に更新をされていたのですが婚約発表という内容でした。僕のネット上での恋は破れたわけです。(当たり前)



こうなったらどこの馬の骨と結婚するのか気になるわけで、泣く泣く読み進めていくと、なんとそのお相手は連絡が取れないままになっていた豊ノ島関だったのです。



これには正直鳥肌が立ちました。驚くも何も大興奮です。朋輩の結婚とネット上の失恋。当然軍配は朋輩の結婚に挙がるわけですが、その朋輩の連絡先がわからない。どうしたもんかと考えた結果、mixiのメール機能を使い竹内沙帆さんに初めてコンタクトを試みるのです。




数年前に亀戸の路上で仲良くなったこと、自分が朋輩という曲を歌っていたカズマだということ、CDを買ってくれたお礼を言いたいこと、携帯が水没して連絡先がわからなくなっていることをお祝いの言葉と共に書き殴りました。僕の連絡先を添えて。




すると数分後僕の携帯に登録されていない、知らない番号からの着信がありました。借金の催促かキャバクラの営業電話かと思い、一瞬居留守を使おうか迷いましたが、とりあえず電話に出てみると第一声が



「一馬久しぶりっ!豊ノ島やで!」



という優しく、あの頃と何も変わらない声で電話を掛けてきてくれたのです。




僕は胸の高鳴りを抑えられませんでした。再び繋がることができたのが嬉しくて嬉しくてなかなか上手く喋れませんでした。



後日談ですが、ちょうど結納の帰りに僕のメールに気付いた沙帆さんが隣にいた豊ノ島関にそのメールを見せて電話をしてきてくれたそうです。



このように数年ぶりに再会を果たし、この後2010年の11月九州場所で熱い感情を相撲と豊ノ島関から感じた勢いで相撲を知りたくなり、書店に相撲の専門誌を探しに行ったわけですが、相次ぐ不祥事により3誌あった専門誌も2誌が事実上の廃刊、残ったのはベーズボールマガジン社の月刊相撲しかありませんでした。しかし、相撲ビギナーの僕にはちょっとハードルが高すぎました。もちろん今となっては月刊相撲は素晴らしい雑誌ということはわかっていますが、当時の僕にはということです。


もっと若い人たちに相撲の素晴らしさを知ってもらわなくてはいけないのに、ビギナー寄りの情報が少なかったのです。



でも相撲界の人気低迷を何とかしたい。やはりこれからの未来を切り開いていくには若い人達が中心になっていかなくては未来はないという考えもあり、熱い気持ちになれる相撲をもっと若い世代に知って欲しいという思いから、編集なんて仕事をしたことがないですから、お金をもらえるような物は作れない。だったら「無料で」「相撲の入口になれる」そんな相撲のフリーペーパー「TSUNA」を作る決意を固めたわけです。



さて、大相撲五月場所五日目が終わりました。


結びの一番では勢関が横綱鶴竜関を破る殊勲の星。平幕と呼ばれる、いわゆる前頭が横綱に勝つことを金星といい、三役の関取が横綱を破っても金星とは言いませんので、今回の勢関の場合は殊勲の星となるわけです。


これで全勝は白鵬関、稀勢の里関、豪栄道関になりました。


明日から中盤に突入していきます。今場所は立ち合いで手をつくことが厳格化されたようで、今までのような立ち合いでは成立しない取組もちょこちょこあります。それが全勝の力士にどう影響するのか。その辺りが重要になってくるように思います。


明日からも全取り組みから目が離せません。




2016年5月9日月曜日

優勝決定戦と相撲が跳ねてからのオススメコース

三日坊主にならないよう頑張っらないといけませんね。力士がインタビューなどで「一日一番集中して」という言葉をよく使っていますが、一日一更新とまではいきませんが、可能な限り頑張りたいと思います。



本場所中はいいのですが、それ以外の時はできれば巡業のことや僕が企画している抱きしめてツナイトというトークイベントの話なんかも書いていきたいですね。



さて、今日は先にTSUNA創刊の経緯の続きを書いていきます。



売れないCDを売ろうとして日々路上で歌う竹内とは逆で、豊ノ島関は順調に番付を駆け上がっていきました。



豊ノ島関が幕下四枚目で臨む本場所前に部屋でちゃんこ番が上手くできず兄弟子に叱られ、それが悔しくて「絶対今場所で関取になってやる!」と相撲部屋内にある支度部屋で涙を流していたそうです。



僕が歌っていた朋輩には「僕達は泣いた分だけ強くなれる。優しくなれる」という歌詞があります。彼はこの歌詞をたいへん気に入ってくれていました。



豊ノ島関は「絶対関取になってやる!というハングリー精神があったからこそ、あそこで関取に上がれた」と言っていました。何かそこで朋輩と彼の状況がリンクするものがあるように思います。



最近になって聞いたのですが、そのとき豊ノ島関を叱った兄弟子は「豊ノ島が一気に番付が上がっていって、先に入った自分を追い抜いて、もうすぐ関取になれるという時、俺はさみしかったんだと思う。」ともおっしゃっていました。同じ大部屋で過ごし、同じ釜の飯を食べて育つものの、強い者だけが生き残れる世界、そういった一面もあるんですね。どちらかというと僕は兄弟子の気持ちもわからんでもないなと思う反面、豊ノ島関の強さにただただ驚くのだけでした。




そして見事関取昇進を決める豊ノ島関。一方、僕も音楽での前向きな話があり当時住んでいた亀戸から所属事務所が近くなる中野区東中野へ引っ越しをします。



その引越し先で洗濯機に携帯電話を水没させてしまい一切の電話帳データが消失。実家、親、兄弟、恩師、バンド仲間、元カノ、もちろん豊ノ島関も。彼も忙しくなりお互い連絡を取れない状況で、その後奇跡の再開を果たすのですがそれはまた別の機会に書かせていただきます。



連絡は取れないけれど、彼の活躍は時折テレビで拝見していました。出会ったころ僕は「絶対ロックスターになるから!」と話していたのですが、それに対し豊ノ島関は「俺はなるべく18時に近い時間で相撲を取れる力士になる!」と言っており、彼が番付を上げることが刺激になり音楽活動を頑張ろうという気持ちになりました。



そんな刺激を彼から受けながらも連絡は依然取れないまま時間は流れ、2010年11月の九州場所。



そのころの僕は豊ノ島関と出会ったころのバンドは解散していて、2011年3月に予定されていた国内ツアーと4月の台湾での野外フェスをもって当時所属していたバンドの脱退が決まっていたころでした。



この先また新たにバンドを組むのか、どこかのバンドに加入するのか、そもそも音楽活動を続けるのか、それとも29歳という年齢もあり、田舎の三重県南伊勢町に帰って仕事を探すのか、それすら決まっていない宙ぶらりんな毎日をなんとなく送っていました。



深夜のスポーツ番組で豊ノ島関が13日目で12勝1敗の成績であることを知ります。翌日の14日目も見事に勝利。千秋楽の本割も勝利し、結びの一番で横綱白鵬関が負ければ豊ノ島関の優勝。



結びの一番は白鵬関が勝利し、豊ノ島関と白鵬関の優勝決定戦となります。かつて「なるべく18時に近い時間で相撲を取る」と夢を語った彼が、今まさに夢を叶える瞬間を見た気がして僕は涙が止まりませんでした。諦めず辛抱強く稽古を重ねて今この瞬間があるのかと思うのと同時に、宙ぶらりんな生活を送っている自分の情けなさ、惨めさ、不甲斐なさ、いろんな感情が僕の中を駆け巡りました。



結果的に豊ノ島関は白鵬関に負けて優勝を逃してしまいます。それまでは「友人に力士がいるから」という理由だけで相撲を観ていましたが、中途半端な日々を過ごす僕にとっては明日を一生懸命生きるために必要なエネルギーを充分すぎるほど与えてもらいました。



この頃からようやく大相撲が好きになったわけです。ちなみにこのときはまだ三役全員の四股名も知りませんでしたし、相撲部屋も時津風部屋しか知らないほどでした。



そんな僕がフリーペーパーを作るに至るのはまだ少し先の話なので今回はこれくらいにしておきます。




さて、本場所初日は大関、横綱が盤石のスタートを切りました。このまま千秋楽まで全員が勝ち続けることはありません。どこかで均衡が崩れます。それが今日なのか、明日なのか、本場所から目が離せませんよ。



今日は最後に竹内的大相撲観戦後の遊び方を書いて終わります。



本場所を観戦すると「せっかく両国で相撲を観たのだからちゃんこ鍋を食べて帰りたい」こう考えるのは当たり前だと思います。かつて僕もそう考えて当日に両国界隈のちゃんこ屋さんを検索して予約しようとするのですが、どこも予約で満席なんですね。


そこで!



一度TSUNAでも特集したのですが、昔の人たちは両国で相撲を観戦した後に浅草で美味しい物を食べて遊郭で遊ぶというのが粋な遊び方だったようです。


本場所開催中は国技館の前にある水上バスが18:20出発浅草行きの臨時便を出しており、これに乗って隅田川を渡り、浅草に向かうのがオススメです。隅田川から眺める景色は未だに下町の雰囲気が残っていて、季節によってはライトアップされたスカイツリーを眺めることもできますからデートにもいいですね。



浅草まで行くと予約をせずに入れる店も多く、いろんな飲食店があるので街を歩きながら選ぶことができていいです。それでも、どうしてもちゃんこを食べたいというのであれば、浅草にちゃんこ場というTSUNAにも広告を出してくれているお店があるので、そこがオススメです。




懲りずにまた書きますので次回の更新をお楽しみに!









2016年5月8日日曜日

お祭り開始

本日5月8日から大相撲五月場所が始まりました。



本場所は力士が日頃の稽古の成果を発揮して番付(ばんづけ)と呼ばれる相撲界の強さを表すランキングがあり、それをひとつでも上のランクになれるよう真剣勝負を行います。



ルールは至って簡単で、丸い土俵の外に出るか、足の裏以外が地面に着いたら負けとなります。他にも8つの反則があるのですが

①握りこぶしで殴る。
②頭髪をつかむ。
③目またはみぞおちなどの急所をつく。
④両耳を同時に両手で張る。
⑤前立褌をつかみ、または横から指を入れて引く。
⑥のどをつかむ。
⑦胸、腹をける。
⑧指をもって折り返す。



②の頭髪をつかむというのは勝負の流れの中でチョンマゲに手がかかってしまうことがあり、しばしば目にすることがありますが、他の反則は基本的に目にすることが少ないですね。




番付は序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内の順番が強さの指標となっていて、幕内が一番強いということになります。幕内には平幕と三役で強さが分かれていて、前頭○枚目という○の部分に入る数字が小さいほど強いということになり、一枚目は筆頭と呼びます。筆頭の上が小結、関脇、大関、横綱という順で強くなっていきます。



番付は基本的に勝数が負け数を上回れば「勝ち越し」、逆に勝数が負け数を下回れば「負け越し」となり、勝ち越しは番付が上がり、負け越しは番付が下がるようになっていて、力士は少しでも上の番付を目指し、日々稽古を重ね、本場所の取組に挑みます。



今日から十五日間の本場所は力自慢たちの熱い闘いから目が離せません。



順番が逆になってしましましたが、僕がTSUNAを創刊した経緯について少し書かせていただきます。



元々ロックバンドをやっていた僕がどのようにして相撲の世界と出会ったのかということですが、僕が過去にやっていたバンドは全くと言って良いほど売れませんでした。数枚のCDをリリースしたものの買い手がいないので在庫の山を抱えることになるのです。作っている時は「これで世界が変わる」とまで思っていたわけですが、僕たちは世界を変えることができませんでした。



2002年頃、僕が江東区にある亀戸に住んでいました。家賃3万円で隣人が新聞をめくる音が聞こえるほどの壁、風呂なし、日当たりなしのボロアパート。



部屋で練習をしていると隣人が「うるさい!静かにしろ!」という意味を込めて全力で壁をぶん殴ってくるようなクレイジーなアパートでした。当然自宅での練習はできず、しかし毎日スタジオに入っていれば経費もかかるので、当時流行っていた路上での弾き語りを亀戸駅前で開始しました。



日々、酔っぱらいに「下手だね」と罵倒され、たまに人が立ち止まって聴いてはくれるものの、在庫のCDを購入するまでには至りません。しかし諦めるわけにもいかない。


そんなとき、3人の大柄な男が僕の目の前に現れて「何か歌ってよ」と言ってきたのです。


浴衣姿にチョンマゲの大柄な3人。。。


コスプレでないかぎり彼は力士だということがひと目でわかった。三重県南伊勢町という海と山しかない田舎で育ったので生で力士を見るなんて生まれて初めて。興奮した僕は


「何部屋なん?」


と彼らに聞くと「テディベア」「徹子の部屋」「ベルトコンベア」と、まとも答えてくれませんでした。でも、せっかく立ち止まってくれたのだから一曲歌わせいただきました。


歌い終わったあと、その曲が入っているCDを買ってくれた力士が現在幕内で活躍をする豊ノ島関だったのです。出会った頃はまだ序二段だったかと思います。



歳も近く、お互い大志を抱いて上京しているということもあり、僕たちはすぐに仲良くなりました。



「朋輩」という言葉があります。友達という意味で使うのですが、僕はこれをずっと地元三重県の方言だと思っていました。当時豊ノ島関が気に入ってくれていた曲が親友のことを思い歌っていた僕達の「朋輩」という曲でした。



豊ノ島関の地元高知県宿毛市でも朋輩という言葉を使うようで、そう言った面でも僕は親近感を持っていたのかもしれません。「俺の地元も朋輩って言葉を使うよ」と言ってくれた時に一方的ですが、僕はとてつもない親近感が湧きました。



今でも一緒に食事をしたりすると豊ノ島関が必ず言うのですが、当時お相撲さん三人組で自転車に乗っていて「なんか良い歌だな」と思い、気になったので兄弟子を止めて「ちょっと聴いていきませんか?」と言ったのは俺なんだよと彼は言います。

僕が何かの間違いで売れっ子ミュージシャンになっていたら豊ノ島関と出会うことはなかったと思いますし、入門間もない豊ノ島関が兄弟子を止めてくれなければ僕は相撲と何かしらの接点を持つことはできなかったと思います。


今、書き終わってみてテレビで相撲が始まったので今日はこれまで。
では、また次回!


2016年5月7日土曜日

決戦前の土俵祭り

はじめまして。



相撲情報誌TSUNAという相撲のフリーペーパーを作っている竹内一馬です。



アメブロでもやってはいたのですが、バンドの頃のことも書いていたし、なんとかく心機一転という感じにしたかったので、新しく開設してみました。



書いていくことは相撲の内容が主になるわけですが、本誌に書ききれなかったり載せきれなかった写真、タイミングの問題などで本誌に載せるに至らなかったことなんかを書いていこうかなと思っています。


そもそもTSUNAとは「格式が高いと思われがちな相撲をもっと身近に!もっとフランクに!」というコンセプトのもと2012年9月に創刊されたフリーペーパーです。2012年といえば相撲界の相次ぐ不祥事によりファン離れが深刻化。3誌あった相撲の商業誌も1誌を残して事実上の廃刊となっていたころでした。そんな時になぜ相撲のフリーペーパーだったのかというは、次の機会にでも書かせていただくことにします。

どちらにせよ、ここを読んでいただければ「ちょっと興味があるけどなかなかとっつきにくい」「最近ハマッたばかりで、もう少し相撲について知りたい」と言った方々に楽しんでいただけるよう頑張ってみます。もちろん、そうでない方も楽しんでいただければ嬉しいです。



さて、今日は明日から始まる本場所を前にして両国国技館では「土俵祭り」という前夜祭的なものが朝から行われました。


相撲の本場所は奇数月の第二日曜から始まり二週間後まで開催されるのですが、その十五日間が無事に終わりますように!と願いを込める日なのであります。



そもそも相撲とは神事ですから、祈ったり、供えたりするのが多いのです。実際土俵祭りでは土俵の真ん中に穴を開けて、お酒やら塩を入れて祈願するのです。しかも実際の神主が来るというわけではなく、取組の前に「ハッキヨーイ!ノコッタ!」と掛け声をかけて勝負を裁く行司さんが神主をするわけですが、あの国技館がピリッと張り詰めた空気というのは独特で一度は体感してみてほしい相撲の一部分でもあります。



悪いこともしていないのに、勝手に背筋がピンッとなると言いますか、本能的にビシッと背筋が伸びてしまうんですよね。



時間は朝の10時頃から始まり入場は無料。だいたい20分くらいで終わります。


土俵祭りで祈願をしたら、さぁ明日から本場所だ!となると思ったら大間違い!相撲ファンの兄弟子たちは、国技館で本場所が開催される時はそのあとにも相撲塾というイベントに参加をしている!相撲塾がなんなのか?というのは次回の更新で書こうかと思います。