相撲界では2本足で立つ鶏が縁起が良いとされており、ちゃんこ鍋には鶏肉を使うことがほとんどだそうです。
今回は僕が生きる希望を与えてもらえた2010年九州場所より少し前に起こった偶然を書いていきますね。
2004年末頃、亀戸の路上で僕が歌っていた「朋輩」がCD化させてあげるという奇特な音楽事務所が現れまして、目の前にぶら下げられた人参に、これ以上ない食いつきをみせる竹内一馬。当時住んでいた江東区亀戸から所属事務所が近くなる中野区東中野へと引っ越しをします。今回は奮発してユニットバス付きです。銭湯通いしなくてよくなりました。
しかし2005年2月に発売された朋輩のCDも全く売れず事務所の人たちも困り果てていました。顔文字で表すと(-_-)こんな目で僕達を見てくれていました。
当時のバンドメンバーと緊急会議を開き「こうなったら知人に電話しまくって1枚でも多く売るしかない!」という結論に至り、地元の友人、親、友達の元カレ、初恋のあの子まで…必死で電話営業をしていました。
その中に豊ノ島関もいるわけなのですが、この時既に彼は幕内力士。少し前まで路上で朋輩を聴いてくれていたのに、なんだかちょっと昇進が早すぎて遠い存在に感じ、電話をする直前にためらったのを覚えています。
いくら仲が良くても幕内力士に自分達の売れていないCD買ってくれないか?なんて図々しくて普通の思考回路なら言えません。しかし僕がバカで良かった。電話しちゃうんですよ。
そしてタイミング良く彼も電話に出るんですよ。今思えばとても失礼な事をしていたのですが当時24歳だった僕も必死でした。
僕「あの朋輩って曲あるやん?あの曲CDになったんよ。それでもし良かったら…かっ…買ってくれんかな?」←はいバカ
豊「ホントに?おめでとう!100枚買うわ!」
最初僕は冗談だと思っていましたが、豪快な豊ノ島関は本当に100枚買ってくれたのです。しかも当時関取衆や若い衆に「僕の友達が出したCDなんですよ」と言い、配ってくれたのだそうです。
事務所の人もビックリしていましたが彼のおかげで僕達は首の皮一枚で生き残ったわけです。
豊ノ島関にお礼を言おうと思い、携帯電話を手にした時に悲劇が起こります。
携帯を洗濯機の中へ落としてしまうのです。これにより全ての連絡先が消えてしまいました。今思えば直接お礼を言いに時津風部屋まで行けば良かったのですが、そこまで頭が回らないのが24歳の僕。
そのまま月日は流れ「朋輩」を歌っていたバンドは一瞬の日の目も見ずに解散。時は2008年、気が付けば豊ノ島関は三役も経験しています。出会った頃は同じような境遇だったのに日々の稽古のおかげで彼の夢への距離と、僕の夢への距離の差は開くばかり。依然連絡も取れず僕はそれでも自分の夢に向かいアルバイトと音楽活動を続けます。
話は変わり、携帯電話やインターネット、20年前とは比べ物にならないくらい世の中の通信手段は進化しました。皆さんの周りでもtwitter、LINE、facebookなどなどSNSの名前を耳にすることもあると思います。
2008年頃僕はmixiというSNSをやり始めていて、そこで自分が1981年6月20日生まれなので「1981年6月20日生まれの人」というコミュニティと呼ばれるグループを作り管理人をしていました。
最初は「何人くらい同じ生年月日の人がいるんだろう?」という軽い気持ちで始めたわけですがコミュニティ参加者は200人を超え当初予想していた人数を多く上回ったのです。
そのコミュニティ参加者の中に当然同じ生年月日で、さらに同じ竹内という苗字で、さらに同じく音楽活動をやっている女性がいたのです。
当たり前ですがネット上で知った存在だったので面識はないのですが、その人が更新しているブログの画像やライブ映像を観ると歌も上手だし美人だし、僕は勝手に「この子と結婚するならプロポーズの言葉は苗字も変わらないし誕生日パーティーも一回で盛大にやろうね。子供は音楽やってくれるかな?ってこところだな」なんてあらぬ妄想を膨らませていたのですが、無残にも彼女が更新したブログでその妄想は打ち砕かれます。
久しぶりにmixiを開いたので同じ誕生日で美人の竹内さんはどんな近況かな?と思い彼女のページを覗いてみると「☆ご報告☆」というタイトルのブログが更新されていた。そのブログは1ヶ月前に更新をされていたのですが婚約発表という内容でした。僕のネット上での恋は破れたわけです。(当たり前)
こうなったらどこの馬の骨と結婚するのか気になるわけで、泣く泣く読み進めていくと、なんとそのお相手は連絡が取れないままになっていた豊ノ島関だったのです。
これには正直鳥肌が立ちました。驚くも何も大興奮です。朋輩の結婚とネット上の失恋。当然軍配は朋輩の結婚に挙がるわけですが、その朋輩の連絡先がわからない。どうしたもんかと考えた結果、mixiのメール機能を使い竹内沙帆さんに初めてコンタクトを試みるのです。
数年前に亀戸の路上で仲良くなったこと、自分が朋輩という曲を歌っていたカズマだということ、CDを買ってくれたお礼を言いたいこと、携帯が水没して連絡先がわからなくなっていることをお祝いの言葉と共に書き殴りました。僕の連絡先を添えて。
すると数分後僕の携帯に登録されていない、知らない番号からの着信がありました。借金の催促かキャバクラの営業電話かと思い、一瞬居留守を使おうか迷いましたが、とりあえず電話に出てみると第一声が
「一馬久しぶりっ!豊ノ島やで!」
という優しく、あの頃と何も変わらない声で電話を掛けてきてくれたのです。
僕は胸の高鳴りを抑えられませんでした。再び繋がることができたのが嬉しくて嬉しくてなかなか上手く喋れませんでした。
後日談ですが、ちょうど結納の帰りに僕のメールに気付いた沙帆さんが隣にいた豊ノ島関にそのメールを見せて電話をしてきてくれたそうです。
このように数年ぶりに再会を果たし、この後2010年の11月九州場所で熱い感情を相撲と豊ノ島関から感じた勢いで相撲を知りたくなり、書店に相撲の専門誌を探しに行ったわけですが、相次ぐ不祥事により3誌あった専門誌も2誌が事実上の廃刊、残ったのはベーズボールマガジン社の月刊相撲しかありませんでした。しかし、相撲ビギナーの僕にはちょっとハードルが高すぎました。もちろん今となっては月刊相撲は素晴らしい雑誌ということはわかっていますが、当時の僕にはということです。
もっと若い人たちに相撲の素晴らしさを知ってもらわなくてはいけないのに、ビギナー寄りの情報が少なかったのです。
でも相撲界の人気低迷を何とかしたい。やはりこれからの未来を切り開いていくには若い人達が中心になっていかなくては未来はないという考えもあり、熱い気持ちになれる相撲をもっと若い世代に知って欲しいという思いから、編集なんて仕事をしたことがないですから、お金をもらえるような物は作れない。だったら「無料で」「相撲の入口になれる」そんな相撲のフリーペーパー「TSUNA」を作る決意を固めたわけです。
さて、大相撲五月場所五日目が終わりました。
結びの一番では勢関が横綱鶴竜関を破る殊勲の星。平幕と呼ばれる、いわゆる前頭が横綱に勝つことを金星といい、三役の関取が横綱を破っても金星とは言いませんので、今回の勢関の場合は殊勲の星となるわけです。
これで全勝は白鵬関、稀勢の里関、豪栄道関になりました。
明日から中盤に突入していきます。今場所は立ち合いで手をつくことが厳格化されたようで、今までのような立ち合いでは成立しない取組もちょこちょこあります。それが全勝の力士にどう影響するのか。その辺りが重要になってくるように思います。
明日からも全取り組みから目が離せません。
すごすぎる…。ありえないほど偶然が重なってますね。
返信削除そうなんですよね。まさに驚きの連続でした。
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