ご無沙汰しております。なかなか更新できなかったのでブロガー失格の竹内一馬です。
今年最後の九州場所が終わりました。今場所はスポナビさんが経費を出してくれたので、ほぼ毎日九州場所に行くことができました。知らない土地でのウィークリーマンション住まいというのはなかなか楽しいものですが、最後の方は少しホームシックになっていました。
あのホームシックって何なんでしょうね?
僕は純度100%の独身なわけです。彼女もいないので家で誰かが待っているわけではありません。なのにどうして。。。そんな悲しい家に帰りたくなったのか。。。
いまだにその謎は解明されていません。
まぁ、そんなことはさておきですよ。最近はSNSの場がなんだか【単なる自慢大会】な感じがしてしまい、告知以外のことは発信しなくなってきております。「〇〇へ行った」「誰々に会った」「〇〇を食べた」などですね。ほかの人の発信を見ているのはなんとも思わないのですが、僕自身が発信することになんだか嫌な感じがしたんですよ。
まぁ、そんなことを思いながらも今回は九州場所の思い出の一部を書いていきたいと思います。
今場所は枝川親方(元蒼樹山関)に運転手を仰せつかることが多く、必然と一緒にいる時間が増えたわけですが、ずいぶんとかわいがっていただきました。
「100キロ目指してる竹内が腹空かせてないか心配で食い物持ってきたぞ」
と言って差し入れをくれたり、
「昼飯食いに行くぞ!」
と誘っていただいたりでたいへんお世話になりました。こうやって記者クラブでもない僕をかわいがってくれるというのは本当に僕としてはありがたい話なのですが、当然我々も大人ですから、夜は飲みに連れていってくれたりするわけです。
僕の住んでいたウィークリーマンションが中洲川端駅というところの近くにあったのですが、読んで字のごとく中州に近いわけです。なんなら歩いて5分かからないくらいの立地でした。
そこで僕は中州の楽しさを知るわけですね。楽しかったんですよ。もちろん自分のお金で飲みに行けるような予算はありません。枝川親方にご馳走になったわけです。
それとは別の日。本場所が跳ねてから予定もなかったのでウィークリーマンションで一人晩酌をしていたんですよ。当然酔っ払いますよね。中州に魅了されている僕は中州に行きたくなるわけです。でも財布には中州で遊ぶほどのお金なんて当然入っておりません。そこで僕は考えました。
「豪快な相撲界だ。中州でウロウロしていたら、たまたま僕を知っている人が僕に声を掛けてくれてご馳走してくれるかもしれない。そうだ!中州へ行こう!」
たぶん中州で一番お金を持っていない人間が中州をウロウロし始めるのです。
誰か相撲界の人に声を掛けてもらえないかなぁと逆ナン待ちです。
結局、数時間ウロウロしましたが誰からも声を掛けられなかったので肩を落として〆のラーメンでも食べて帰ろうと思い、夜中でも行列のできる中州のラーメン屋さんで並んでいると
「兄ちゃん!ラーメンなんて並んでないで、俺と一緒に寿司食おう!」
キタァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
やりましたよ。その方は時津風部屋の後援会の方で、以前から何度かご挨拶をさせていただいていたのですが、九州場所で枝川親方と一緒にいたときにも挨拶をさせていただき、それを覚えていてくださって声を掛けてくれたそうです。
挨拶するべきですね!笑
普段行くこともないカウンターのお寿司屋さんで
「兄ちゃん好きな物頼んで食べな!」
と言ってくださり、ビールもいただいて少ししたら後援者の方が枝川親方のことを話始めました。
「俺は枝川さんが角界に入ってからの付き合いなんだけど、あいつほど根性のあるやつを見たことがない。そう思えば付き合いも長くなってきたなぁ。蒼樹山で十両の時に彼は盲腸になったことがあったんだけど、医者の制止があったのに盲腸の手術後にサラシを巻いて土俵にあがったことがあるんだよ。今の若い子にもそういったところを見習ってほしいわ。」
他にも懐かしみながら御自身がどのように時津風部屋と関りをもったのか、角界に不祥事が続いたときの悲しさなど、たくさん話をしてくれました。その日はお寿司をたらふく食べさせていただき帰路についたわけです。
翌日、枝川親方に後援者の方にお寿司をご馳走になったことを伝えると、そんなことがあったのかと驚いていたのですが、その時に後援者が言っていた盲腸の術後にサラシを巻いて土俵にあがった件について質問をしてみると。
「懐かしいなぁ。そんなこともあったな。あのときは十両の中位くらいだったんだけど、休場して番付がみるみる落ちる星になっていくのが嫌だったんだよ。だから当時の師匠に相談して出させてほしいって言ったんだよ。休場してたら番付は下げるだけだし、出たら一番だけでも勝てるかもしれないからね。その時に本場所へ送り迎えしてくれてたのがあの後援者なんだ。今の子に同じことをやれとは言わないけど、それぐらいの気持ちで土俵に上がってほしいもんだね。」
と、話してくれました。きっと親方が言いたかったのは、いま気持ちのない中途半端な力士が多いという意味ではなく、心が熱くなるような取組を一番でも多く本場所でお客様に観てほしいという意味だったのだと僕は感じました。
何百人もが毎日必死で戦っている土俵です。それぞれにこういった熱い物語があるはずなので、こういう話を聞いたらこのブログに書いていくようにしますね。
今日はこれぐらいで打ち止めにします。
ごきげんよう。さようなら。
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