2016年6月26日日曜日

大いなる力には大いなる責任が伴う

ご無沙汰しております。


このブログを始めてから最長のサボリ期間になってしまいました。


サボリと言ってしまうと聞こえが悪いですが、正確に言えばブログに手を着けられなかったというところでしょうか。



日本酒が大好きな竹内一馬です。



前回更新から今日まで竹内一馬的重大事案が同時多発して個人のスペックを少々オーバーしておりました。


単純にTSUNA制作期間であったこともあるのですが、他にもいくつか難題が降りかかりまして第一優先しなくてはいけないことが一気に5つくらい出てきた感じです。


しかし、少しずつでいいからやっていくもんですね。なんとか残り2つくらいまで減ってきました。



そうこうしていたら20日で僕も35歳になっておりまして、いよいよアラフォーになったわけです。人生を考えるとなかなかビビリますよ。失うものは何もないのでお気楽な人生と言えばそうなのですがね。



さて、まずはツナイトの話から。ツナイトって何?って人もここの読者にはいるかもしれないので、少しばかりツナイトの説明をさせていただきます。



相撲情報誌TSUNA編集部が企画・運営しているトークイベント【抱きしめてツナイト】通称ツナイト。




始まりは2013年1月31日でした。



TSUNAを創刊したのが2012年9月。2号を出したのが2012年11月。



この頃、阿佐ケ谷ロフトAの店長さんから
「うちで相撲のトークイベントをやらないですか?」

というお誘いの連絡が入る。


バンドマン時代には観客0でのライブを経験したこともある筆者。しかも、ロフト系列ということでさらに身構えます。ロフトは新宿にもライブハウスがあって、下北沢シェルターも同じ系列です。バンドマンからするとロフトやシェルターで演奏したことがあるというだけでひとつのステータスになるような、そんなライブハウスなのです。


そんなロフトからイベント開催のお誘い。



完全に罠だと思いました。



会場利用料を搾取するためだけの営業メールだと判断し、お断りしようと言っていたのですが、当時の編集長野村がなぜか断っていないのです。僕は何度も「やらない」という意志を見せていたのですが


「会場費掛からないって言ってるんだよ」



と食い下がってきます。考えてみれば、会場費が掛からないのであればプロモーションのひとつとして一回くらいいいかなと思うようになり、徐々に口説かれていくわけです。



阿佐ケ谷ロフト側からは相撲好きの能町みね子さんという方がいて、出演してもらえれば彼女自身も集客力があるし、お友達を頑張って10人くらいずつ呼んでいただければ形にはなると思いますとのこと。



集客……。



売れなかったバンドマンは自分たちを観てもらう「チケット」という商品がどれだけ売りづらいかというのを知っています。はっきり言って自信なんてこれっぽっちもありませんでした。




そうこうしているうちにチケットも発売され、それにともない友達に「トークイベントやるんだけど遊びに来て!」というバンドマン時代と変わらない勧誘メールを送る。



いよいよ開催一週間前という状況で、遊びに来てくれる友達は3人(友達少なっ!笑)。


末代まで馬鹿にされるだろうなと思って腹を括っていたいたのですが、ロフトから連絡が入り
「チケットが売り切れました」

という知らせが入る。


こうなると逆にハードルが上がってしまうわけです。しかし、やり始めてみたら来場いただく関取達のトークが上手いので司会もさほど苦戦することもなく(そう思ってるだけですが)、無事に?イベントを終了することができました。



あとは、なぜか東京の本場所後に開催するというのが恒例となってしまい、今では名古屋でも開催させていただけることとなったのがツナイト発祥のお話。


どんなトーク内容かといいますと、正直なところインターネットでは書けないようなことも話しています。ゴシップ的なところではなく、どちらかといえば下ネタとかも出るような感じです。あとはNHKさんのインタビューでは語れない少し砕けた話ですかね。あとパネラー陣も少しサブカルな感じの話が好きな人が多いのでマスコミの方々が報じない(報じるまでもない)話とかね。


力士のプライベートに近いところが観られるというのが正しいかもしれませんね。



今年の8月は仙台も行きますし、先日TSUNAツイッターではアンケート機能を使い、どの地域が開催希望者が多いかを調べさせていただきました。年末には今までより少しばかり広い会場で開催ができればと思っております。







最近思うんですけどね、僕が好きな元中村部屋の彩豪さんが言ってたんです。

「スパイダーマンの映画の中でのセリフなんだけどね、大いなる力には大いなる責任が伴うというセリフがあって、とてもいいセリフなんだよ」


と。聞いたときに僕もいい言葉だなぁと思ったんですね。TSUNAも最初は「作ることがゴール」になっていました。ツナイトも「開催することがゴール」でした。



それが今では作ることがゴールではダメな環境になってきました。お金を出してでも読んでくれる方、発行のためにお金を出してくれる企業、もちろんそれは読者の皆さまがいるからなんですね。ありがたいことに読者の方々も増えているし、読んだことがないけど読みたいと言ってくれる方も増えました。


逆に、もう読みたくない、読むに値しないという方もいます。



そういった様々な人がいる以上、発行することがゴールになっていてはいけません。スポンサーには出してもらっている金額以上の価値を出したいし、読んでくれる人にはクリスマスプレゼントの封を開けるようなそんなドキドキを持って読んでほしいと思っています。もう二度と読みたくないと思っている方にもまた読んでいただけるような内容にしなくてはいけません。


それがTSUNAの責任なんだと思っております。ツナイトも同様です。初回の開催よりもチケット値段があがっています。やはり貴重なオフに来場いただく関取にはノーギャラでというわけにもいきません。来てくる方全員が満足してくれるようにしなくてはいけません。



創刊からこの4年弱の期間でTSUNAの環境、責任というのは大きく変わりました。でも、根本にある「格式高いと思われがちな相撲をもっと身近に感じて欲しい」「大相撲の奥深さ、面白さを伝えたい」というのは創刊当初から変わっていません。だって面白いんですもん。



毎号、毎号やれることを、最大限に無い知恵を絞り作っていますので、見捨てずに今後も読んでくださいね。笑



ということで、今日はこれくらいにしておきます。
皆さん!TSUNAのフォトコレクションをYouTubeにアップしてますからガンガン観てくださいね。



それでは!明日は番付発表ですよ!



名古屋場所の足音が少しずつ、少しずつ近づいてます。
楽しみましょうね!


フォトコレクション1st




フォトコレクション2nd


2016年6月11日土曜日

反省からのTSUNA2号の角界ダンディズム調査

さすがに反省しました。


あんな内容のブログを更新していたら読んでもらえなくなる。笑



ということで素敵な週末の読み物として角界ダンディズム調査の第二弾をアップしますね。





角界ダンディズム調査



相撲1500年の歴史から、日本人の粋と優雅を探り出せ。
手がかりは川端要壽氏の名作「物語日本相撲史」だ。




相撲は「世界一小さい戦場」で闘う格闘技である。われら日本人は、小さい。世界に打って出る際は、精密機械とか半導体とか、とにかく小さくなければならない。そして「世界最小詩形」として売り出されているのが俳句(≒俳諧の発句)である。


むかしきけちゝぶ殿さへすまふとり 芭蕉


 俳聖・松尾芭蕉の句碑が、秩父市にある。漢字に直せば、「昔聞け秩父殿さえ相撲取り」である。「いいから昔の話を聞いてみなよ。あの秩父殿だって、ホントは相撲取りだったんだぜ。笑えるじゃねえか」



なぜ笑えるのか。角川文庫の「芭蕉全句集」によると、「剛勇にして徳望も備えた武将を相撲取りと言いなおしたおかしみの句」ということになっている。けれども、問題はそう単純ではない。理由については、後述する。



芭蕉は江戸時代の人であり、彼の言う「昔」とは、鎌倉時代である。秩父殿とは、源氏の武将・畠山重忠だ。あるとき、関東最強を標榜する長居なる人物が、時の最高権力者・源頼朝の官邸になぐりこみをかけてきた。だが秩父殿=重忠にあっさり肩をつかまれて、骨をくだかれてしまったらしい(『古今著聞集』)。たしかに、剛勇にして徳望も備えた感じである。またこの時代には、かの高名なる「河津掛け」をあみだしたといわれる河津三郎や、その相手とされる俣野五郎といった著名力士がいた。「河津掛け」をかけたのは実は俣野だという説もあるらしいが、それよりも重大な事実がある。



彼らはみな武士なのだ。頼朝は、武士必須のトレーニングとして、流鏑馬(やぶさめ)、競馬(くらべうま)、そして相撲を課した。いざ戦争となれば、人間、こまめに弓矢を放ったり、重い刀を振りまわしたりなど、そう何時間も続けられるものではない。最後は取っ組み合いになるのは、現代における中学生のケンカと同様である。それを頼朝は見抜いていた。つまり相撲は、あくまで実戦的な、有用な技術であったわけだ。



 いわゆる「武家相撲」の時代である。源頼朝は、武士の世を築くと同時に、相撲からダンディズムを奪った張本人であった。 鎌倉時代の前は、平安時代である。天皇や貴族の前で行われた「相撲節会(すまいのせちえ)は、五穀豊穣を祈願し、祝うための神事であった。より具体的にいえば、農作物がちゃんと収穫できるように祈るセレモニーの一環であった。力士ならぬ相撲人(すまいびと)は、明日のダイコンのために、相撲を取っていたのである。



とはいえ、貴族の前で相撲を取ってさえいれば、空からダイコンが降ってくるわけではない。畑を耕し、種を蒔くのは、あくまで農民である。百姓である。われらの先祖である。


 
尊い御身分の方々は、われら貧民どもがきっちり労働をこなすことを願って、きらびやかな儀式を催し、相撲を見物していたのだ。もっとも、贔屓の相撲人が勝とうが負けようが、翌年に雨が一滴も降らなければおしまいである。農業のシビアな現実を鑑みれば、相撲などまるで無用な、どうでもいいことである。そのどうでもいいことを、あたかも有意義な行為であるかのように、厳粛に執り行ったのである。まったくお気楽な連中だ。



 十八世紀英国にあらわれたダンディたちは、まさにお気楽な連中であった。パーティーでの着こなしだの立ち居振る舞いだの、どうでもいいことに価値を与えた阿呆どもであった。いうなれば神事時代の相撲は、ダンディズムそのものだったのである。



 さて、芭蕉。彼の本業は、スパイであった。当時の言葉でいえば忍者、現代でいえば探偵である。ガチガチの幕藩体制であった当時、さして身分の高くない人間が、そうホイホイ自分探しの旅に出られたはずがない。また病弱な老人が、「おくのほそ道」二四〇〇キロメートルの道程を縦横無尽に闊歩できたはずがない。実際はどうだったか知らぬが、あやしい話こそ、積極的に採用するのが当コラムの方針である。



 探偵といえば、シャーロック・ホームズである。十八世紀ダンディの滅亡を嘆き、十九世紀末に復活したダンディを体現する人物だ。野暮を蔑み、優雅を愛するホームズの血が、芭蕉にも流れていたのである。芭蕉は「秩父殿などどエラそうにしているが、所詮は(貴族趣味のエレガントを忘れて、武士道という名の実利主義に走った俗物の)相撲取りさ」と嘲笑していたのだ。




 冒頭の句の真意はこれである。俳聖・芭蕉とともに、ダンディ不在の時代を嘆こうではないか、諸君。

原文ママ







いかがでしたでしょうか?
それでは今度こそ素敵な週末を!





相撲のトークイベント

少し更新の間が空いてしまいましたね。そういうときもあります。



忙しいアピールをするつもりは毛頭ないのですが、忙しいというより、やらなくてはいけないことを効率良くできていないだけな気もします。自分の中では優先順位を付けて行動していてもイレギュラーに優先しなくてはいけないことも出てきて、結局何から手を着けていけばいいのかよくわからなくなります。



そういう時間の使い方が上手い人に憧れたりしますが、なかなかそんな人になれないのが現状ですね。



6月というのは原則国内の巡業はなく、海外巡業も開催がなければ各相撲部屋が合宿をおこなったり、このときを利用して部屋単位で海外旅行に行ったりすることが多いです。もちろん結婚式も必然的に多くなるわけですが、今月は誰か結婚式を挙げたりしてるんですかね?




先日、抱きしめてツナイトを阿佐ケ谷で開催してきました。今回の超重量級ゲストは時津風部屋の正代関と錦戸部屋の千田川親方。千田川親方は過去に何度か出演はしてくれていて、そのときはいつも際どい話をしてくださるので個人的にはスリルがあって楽しいです。笑



正代関は乾杯こそビールでしたが、二杯目はツナイト史上初のカルーアミルクをオーダーされてました。笑



二人共それぞれの個性が見られるトークイベントとなり、終始笑いの絶えない状況だったので御来場いただいた方は満足していただけたのではないのかな?と思っております。いかがでしたか?



どちらにせよ反省点もあるわけで、少しずつ修正していきたいと思います。
といってもトークイベントって生物なのでそのときの話の流れもあるから簡単に舵を切れるわけではないんですよね。その点、司会業を本職としている方はすごいですよね。僕なんてツナイトでは司会としているはずなのに、1ファンとして観ちゃってますからね。それほど力士や親方の話って面白いんですよ。



ツナイトに限らず相撲関連の方がトークイベントをやるときは一度参加してみるといいですよ。



個人的にオススメはTSUNAでも連載をしてくれているみよこちゃんが出ている「うっちゃりトーク」というイベントは面白いと思う。毎回浅草の喫茶待合室で本場所後の日曜日に開催されているので興味のある方は一度足を運んでみるのもありでしょう。







ちなみにツナイトは名古屋場所前の中日新聞とのタイアップツナイトはニコニコ生配信でも視聴できるので一度御覧になってみてください。



きっと僕が知らないだけで相撲を語っているトークイベントはたくさんあるかと思うので御存知のイベントがあれば逆に教えて下さいね。




本場所開催までやっと1カ月切りました。名古屋場所はどんな展開になるんでしょうね?取材が進んで情報が入ったら本場所予想もこのブログでやってみようと思います。



あと、TSUNAのフォトコレクション観ていただけましたか?かっちょいい写真をたくさん使ってますので是非何度でも観てあげてくださいね。相撲好きの外国人のお友達なんかがいたら是非!


目指せ相撲ユーチューバーということでYouTubeにアップしてます。

こちらが第一弾。





こちらが第二弾。





皆さまよろしくどうぞ。


それではまた。

2016年6月5日日曜日

角界ダンディズム調査

先日ツイッターで呟きましたが、ノートパソコンにコーヒー(ブラック)を盛大に撒き散らしてしまい押せないボタンがあるのでかなり凹んでいます。



さらに、電源を入れてパソコン本体が熱を帯びてくるとコーヒー臭くなって壁に向かってぶん投げてしまいそうになります。



かわいそうなノートパソコン。



こんにちは。竹内一馬です。



YouTubeってほんと便利ですよね。昔の相撲の映像なんかも残っていたりするし、探せば探すほど面白い動画が出てくる。さっきも相撲の映像を観てたんですけど、最終的には腕相撲の映像観てましたからね。笑



TSUNAも現在23号の制作に入っておりまして、名古屋ツナイトのことも同時進行なので、てんやわんやな感じなのですが毎日それなりに楽しくやっております。



さて、今回はTSUNAサポーター様には付けていたバックナンバーの中から、今はもう誌面でしか読めなくなった記事を一部だけ紹介していこうかなと思っております。



TSUNAには創刊当初、不動哲平さんというライターさんがいました。不動さんは短歌を愛する方だったのですが、創刊から8号までTSUNAで「角界ダンディズム調査」というコラムを書いてくれていましたが、癌によりこの世を去られました。



角界ダンディズム調査は独特の言い回しとリズムで、さらに相撲界をダンディズムと比較するという斬新なコラムだったので、僕を始め創刊当初から多くの読者に愛していただけたコラムでした。



最近は角界ダンディズム調査のような読み物的要素が少なくなってはきているので今後こういったコーナーも作れたらいいなと思っております。今回はその角界ダンディズム調査の創刊号での記事を皆さんに読んでいただけたらと思いブログを更新しました。




【角界ダンディズム調査】

「相撲」とは、ズバリ「格闘」を意味する言葉だったそうだ。なにせ、わが国初の相撲は、建御雷命(たけみかづちのみこと)と、建御名方命(たけみなかたのみこと)との対戦だったのである。両名とも、神様である。われら日本人は、この世に出現した時点で、すでに相撲を取っているのだ。



 そうであるならば、中には、ちょっとおかしな連中もいたはずである。最強・最高の力士もいいが、やはり、ちょっとおかしな人がいなければ、世界は成り立たない。そんな人たちを、仮に「ダンディ」と呼ぶことにする。



 ダンディとは、十八世紀末、英国ロンドンに現れたおかしな連中だ。産業革命の影響でブルジョワジーが台頭し、帰属の優位性がゆらいだときに、貴族よりも貴族らしくふるまう平民が「ダンディ」と呼ばれ、時代のスターとなったのである。連中は、髪型、服装、言葉遣い、パーティーにおける態度など、どうでもいいことのプロを自称し、えらそうに講釈をたれることによって、王族や貴族に雇われていた。ネクタイの結び方やヒゲの抜き方(剃り方ではない)まで、さも偉大な行為であるかのようにふるまったのである。現代日本に流布している、ナイスミドルのちょい悪オヤジ的なイメージとはずいぶんちがうが、そのへんはここでは触れない。



 よく引き合いに出されるのが、幕末、日本の京都に現れた新選組である。江戸幕府が衰退して武士の優位性がゆらいだときに、武士以上に武士らしくふるまった農民たちだ。彼らもまた、武士(会津藩)に雇われて、盗みをはたらいたら切腹、一般人と恋愛したら切腹、とにかく「士道」に背いたら切腹などという隊規を掲げて暴れまわっていた。数年前にNHKの大河ドラマ「新選組!」によって注目が集まり、ようやく京都の屯所跡などのゆかりの地が整備されたが、今も昔も、京都人には嫌われているようである。同じく大河ドラマの「龍馬伝」では、一転してチンピラ同然に描かれていたのだが、やけにリアルに見えた。



 ダンディも新選組も、本物の貴族や武士に雇われつつ、おのれの役割を演じきり、はかなく消え去った時代のあだ花である。本物よりも本物らしく。文学や芸術にも通じるこのスピリットを、相撲界にも見つけ出したい。当コラムの主眼は、そんなところにある。



 もっとも、ちょっとおかしな連中が、それだけで歴史に残れるものではない。ダンディはシャルル・ボードレールやオスカー・ワイルド、新選組は子母沢寛や司馬遼太郎といった文学者の「物語」によって、アンチヒーローとして後世に語り継がれたのである。実際のところがどんな人物であったのか、あやしい部分も多い。けれども、多少あやしいからこそ、ダンディズムなる概念が成立し、チンピラ集団が悲劇の主人公たりえたのである。よって、主に川端要壽氏の名作「物語日本相撲史」(筑摩書房)を頼りに、文学をひとつの拠り所として、角界におけるダンディズムを調査していきたいと思う。







 さて、冒頭のタケミカヅチは鹿島神宮、タケミナカタは諏訪明神に、それぞれ祀られている。両名とも、勇武の神様であり、「古事記」にもその名がある。だが、「相撲の神様」として世間に認知されているのは、出雲国飯石群能見の郷土・野見宿禰(のみのすくね)である。両国国技館のそばに、その名も野見宿禰神社がある。



 ウィキペディアには、「日本相撲協会が管理している相撲神社。両国国技館にほど近い墨田区亀沢にある。年3回の東京場所の取組編成会議終了後に、日本相撲協会執行部と審判部幹部、各一門の審判委員や、相撲茶屋関係者などが集まって例大祭を行っている。祭典を取り仕切っているのは出雲大社教の神職。なお、新横綱が誕生した場合には、この社殿の軒先で土俵入りを披露するのが慣例となっている。境内には歴代横綱碑などもある」と(この原稿を書いている時点では)記されている。また日本書紀によると、野見氏は、垂仁天皇の御前試合において、当時最強を誇った大和国の当麻郷の郷士・当麻蹶速(たいまのけはや)を破って一躍名を挙げたそうだ。ただこの当時の試合は、突く・なぐる・けるをメインに、相手方が死ぬか降参するまで問答無用で闘われたものらしい。まだ「相撲」が格闘技であった時代のエピソードである。さすがに、ダンディズムのようなどうでもいいことが入り込む余地はなさそうだが、この野見氏の後裔が、この勉学の神様・菅原道真といわれているらしいから、油断もスキもあったものではない。さらにいえば、野見VS当麻の決戦が開催されたのは、垂仁天皇7年7月7日であった。この日付が、のちに相撲が神事として開催されるたびに、いちいち採用されたというから驚きである。彦星と織姫によるロマンティックな邂逅として知られる七夕が、格闘の記念日でもあったというのは、
なんとも示唆に富んでいるではないか。



 生きるか死ぬかの真剣勝負であった相撲は、やがて占いの一貫として、庶民の間で活躍する。農作物の出来不出来を占うために、農民たちが力くらべをしたのだ。現代においてもなお、農業は自然や天候によって大きく左右されるギャンブル性の高い産業である。縄文・弥生時代の、当時最先端の農業を開発した人々が、自然や天候を神様と捉えたのも当然であろう。彼らは部落における最強選手同士を闘わせ、神の恩恵を争った。勝った方が、めでたく農作を得られるわけだ。むろん、実際に得られるかどうかは、時間が経ってみなければわからない。けれども、時空を超えておのれの運命を知ることこそ、占いの醍醐味である。かくて相撲は、神様同士の争いから、神様に捧げる神事となった。



 このようなロマンティシズムに、皇室や貴族が飛びつかぬはずがない。部落同士の小競り合いから、国家の豊作を願う一大イベントとなったのは、聖武天皇の御代である。そしてかの絢爛たる平安時代になって、神事・相撲は、いよいよ発展をみせるのである。平安時代に神社が大々的に新築・修築され、朝廷において舞楽・流鏑馬・競馬などと並んで、相撲が「相撲節会(すまいのせちえ)」として開催されるようになる。時が経って、相撲節会(すまいのせちえ)がなくなっても、神事相撲自体は各地の神社に受け継がれている。現代に残っているものも多数あるから、いかに盛大な催しであったかわかろうというものである。ダンディが現れるのは、文化の円熟期と相場が決まっている。われらのヒーローが登場するのはもうすぐだ。



 在原業平(ありわらのなりひら)。そう。平安朝きっての、名うてのプレイボーイである。わが日本にもダンディがいたとすれば、真っ先に名前が挙がるのが彼であろう。



 【世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし】(古今和歌集)
「この世に桜さえなければ、春を過ごすにも、もうちっと呑気でいられただろうよ」



 この「桜」を即物的に捉えれば、いかにも雅な、しゃらくせぇ感じの歌である。けれども、仮に「桜」を「恋」に置き換えてみると、一挙に脳天気な恋愛模様があらわれる。どちらにしてもしゃらくせぇかもしれないが、少なくとも後者は、われら平成の庶民にとっても、条件は同じはずである。恋のむせ返るような息苦しさは、誰でも一度は経験しているであろう。生活の合理性を考えれば、
恋など面倒くさいだけである。自由恋愛の戦場にさらされるより、かえって政略結婚で見合いをし、炊事洗濯をやってくれる女性をあてがわれた方が、どれだけ気楽か知れない。けれども、それでもなお、われわれは恋をせずにはいられない。そして毎年、冬がくるたびにくりかえされるクリスマスやバレンタインデーがもたらす圧力は、春のたびにくりかえされる花見狂奏曲にそっくりではないか。桜などそこらじゅうに咲いているのに、われわれはなお御座を敷いて寒風にふるえながら、夜桜見物に執念を燃やすのである。



 話がそれた。業平は、天皇の血筋でありながら、政変によって臣民に格下げされ、出世の道を閉ざされた人である。その鬱憤を、どうでもいいことに熱中して発散し、かえって名をとどろかせたのだ。そうでもいいこととは、恋と和歌である。皇室や藤原氏の女性たちを次々と籠絡し、同時に、小野小町らとともに「六歌仙」と称され、「古今和歌集」に数多くの歌が採用された。時の権力者・藤原氏に迫害され、京を追われて東国に下った「をとこ」の悲哀を描く「伊勢物語」の主人公のモデルとされているのが、かの「源氏物語」の光源氏の造形にも、多大な影響をあたえた。



 その、天下無敵のダンディが、なんと相撲取りだったらしいのである。いや、正確に言えば、恋も和歌も相撲もうまいスーパーマンだったのである。「栄歌物語」には、まだ御年19歳であった当時の宇多天皇を、豪快に投げ飛ばしたという記録があるそうだ。日本に初めてあらわれたダンディが、相撲界が初めて生んだダンディでもあったのである。さすが国技というべきか。



 しかしながら、純英国風の「ダンディ」と「プレイボーイ」は、似て非なるものである。また平安貴族にとっては、作歌はどうでもいいことではなく、ほとんど仕事に近かったそうだ。とすると、業平をダンディと呼んでいいかどうかは、多少あやしい。だが多少あやしくなければ、ダンディではない。



 最後に、業平の有名な歌をもうひとつ挙げておこう。



【名にし負はば いざこと問はむ  都鳥  我が思ふ人は  ありやなしやと】(古今和歌集)
「都鳥を名乗るからには、(京の)都に詳しいだろうね。では問おう。都に残してきたわが愛しの人は、生きているのか、いないのか?」



言問橋。業平橋。隅田川。大相撲の聖地・呂国は、日本初のダンディが想いをはせた場所にほど近い。


相撲情報誌TSUNA 創刊号 角界ダンディズム調査より 原文ママ



いかがでしたでしょうか?反響次第ではバックナンバーの記事の一部を今後も定期的に紹介できればと思います。全ページはさすがにできないですが、少しでも相撲情報誌TSUNAを知っていただければと思います。



では、今日はこの辺で打ち止め。


2016年6月2日木曜日

お酒の豪快エピソード

もう6月です。暦のうえではジューンです。



なんだか最近、このブログを更新するのが楽しくなってきました。特別何かを書こうとしているわけでもなく、どこかへ取材に行ったわけでもないのですが、こうやって自由気ままに文章を書くというのは楽しいものだなと思うようになりました。


これならしばらく続けることができそうです。





昨日なんかもそうだったのですが、元玉ノ井部屋の力士で現在はウェブ制作の会社を経営されている田代さん(元東桜山)と打ち合わせ後、帰宅して事務作業。

・サポーター様へ特集募集の案内メール送信
・新規サポーター様のリスト更新、梱包と発送
・年間更新してくれたサポーター様のリスト更新、特典梱包と発送
・請求書発行


以上のことをやっていると、あっという間に一日が終わっていたりする。ここにTSUNA制作が佳境に入ると、さらにここへ取材や原稿執筆などが入ってくるため作業は深夜に及ぶことも少なくない。



時々、自分に負けて22時くらいから晩酌してしまったりする。こうなると終わりである。晩酌ひとつにしても「もう今日はこれ以上仕事しないぞ!」という決意のもと酒を飲むわけです。




いったい何を言いたいのでしょうか?笑



しかしながら、最近ようやく休肝日というものを覚え始めまして週に3日は肝臓を休めています。



お酒の話になったのでお酒で驚いた角界の仰天エピソードを書いていきますと、前回北太樹関から聞いた仰天エピソードを書きましたが、今回も北太樹関から聞いた話になります。



以前、沖縄のとある離島に行ったときの話。
その夜は稀勢の里関とお酒を飲んでいたそうです。付け人(相撲の場合、付き人とは書かず付け人と書くのが正式)と3人で泡盛を飲んでいたそうです。



途中からお互い
「絶対先に潰れてなるものか」


という雰囲気になり、負けられない闘いが勝手に始まったそうです。周りの皆は次々と潰れていって、結局最後は稀勢の里関と北太樹関の一騎打ちになり、終わった頃には1升瓶の泡盛が9本カラになっていたそうです。


1升が1.8リットルなので単純に16.2リットルですね。しかも泡盛はアルコール度数が40度のものが多いです。僕もお酒は好きですが、さすがにその量を聞いたときにはヒキました。お酒に弱い人なら致死量だと思います。


相撲界って面白くて、酒に関しては白黒ハッキリ別れます。一切飲まないか、めっちゃ飲むか、ほとんどがこの二つです。


以前、年末に忘年会をやろうということで北太樹関の自宅で開催されたホームパーティーにお邪魔しました。そこには横野レイコさん、フジテレビアナウンサーの向坂さん、鳰の湖さん、北播磨関などがいて、さらに途中で稀勢の里関も登場。


飲めや飲めやの大宴会となり、僕は稀勢の里関に





「TSUNAぁ!飲めー!」

と言われ、日本酒を死ぬほど飲まされた過去があります。途中から記憶もなく、北太樹関のリビングで倒れるかのように寝ていたわけですが、起きたら忘年会翌日なのにその年一番の二日酔いになったということは言うまでもありません。





翌日、大嶽部屋で行われた北の湖部屋との合同餅つきでは、大砂嵐関に10升マスでかわいがられ、帰り道の公園でしばらく動けなかったのはいい思い出です。昼ごろ大嶽部屋を出たのに気が付いたら夕方になってました。



全てが豪快。だから魅力があるんですよね。


北太樹関と飲んでいても最終的にはアイスペールにウイスキーを入れてハイボールを作って飲んでるところとか今まで何度も見てきました。とにかく力士はすごいとしか説明のしようがないんですよね。



そんな現場をいくつ見たところで僕がすごくなるわけではないので注意が必要ですよね。笑



さて、前回TSUNAのフォトコレクションをアップしたのですが、引き続き第2弾をアップしてみました。作り始めるとけっこう楽しくて最近ハマッています。
本誌には載らなかったかっちょいい写真がいっぱいあるので是非御覧になってください。今回のBGMは友人がGuitarを弾いているドメタルな曲にしてみました。激しいのが嫌いな方ごめんなさい。






それではまた更新しますね。