2016年9月20日火曜日

感謝セール

いつも相撲情報誌TSUNAをご愛読いただき誠にありがとうございます。編集長の竹内です。



この度は相撲情報誌TSUNA九月場所号の発行遅延につきましては、多くの読者の方々にご迷惑をお掛けしまして心よりお詫び申し上げます。



連休は印刷所がお休みということもあり、紙媒体の発行が千秋楽、本場所後の配本になってしまいます。遅れてしまって申し訳ないのですが、必ず発行しますので今しばらくお時間をくださいますようお願い申し上げます。



さて、今月でTSUNAも発行から4年の月日が流れました。そこで、日頃のご愛顧に感謝いたしまして10月8日にさいたま市浦和駒場体育館で行われる大相撲さいたま場所のタマリ席チケットをTSUNA編集部で購入した分、先着20名様に5000円(通常14000円)で提供させていただきます。なお、お弁当券は付きませんので当日は会場でお弁当をご購入下さい。



迫力あるタマリ席で本場所のスモロス解消してみませんか?



ご希望の方はtakeuchi@tsunage.infoまでお名前、住所、電話番号、希望枚数を明記のうえメールを送信ください。

※携帯メールから送信される方は迷惑メールの受信設定にご注意下さい。必ずtakeuchi@tsunage.infoからのメールを受信できる状況で送信してください。


メール送信後に料金振込先などの案内メールを送信させていただきます。誠に勝手ながら返信後7日以内のお振込みにご協力ください。


まだ大相撲観戦デビューをされていない方は是非この機会に、またいつも巡業に行かれている方はお得なチケットをゲットしてみてください。

よろしくお願いします。




2016年8月29日月曜日

相撲情報誌TSUNAから大切なお知らせ

TSUNA読者の皆様


いつも相撲情報誌TSUNAを読んでくださり誠にありがとうございます。


この度の9月をもって相撲情報誌TSUNAも創刊から4周年を迎えることとなりました。ここまでこれましたのは読者の皆さま、TSUNAを支援してくださるスポンサーさま、記者クラブに加盟もしていない法人のTSUNA発行を快諾してくださっている日本相撲協会さま、TSUNAを取り扱ってくださるマスコミの皆さま、設置店舗さま、そして何より取材にいつも協力してくださる力士の皆さまがあってのことだと思っております。


本当にいつもありがとうございます。



さて、改めましてこのブログでお伝えしたいことがあります。




九月場所に発行をするTSUNAで、いったん紙媒体をサポーターさまとスポンサーさまにお配りするものと、それと部数を減らしてですが国技館での配布のみとさせていただくことになりました。



今まで配布をさせていただいてきた設置店舗さまでの配布を終了する代わりに、今後はTSUNAのデジタル版を開始することにしました。



昨今の相撲人気回復を見ると、TSUNA自身も次のステップに進んでいかなくてはいけないかなと思うようになったことからの決断です。


私のワガママでTSUNAは今まで紙媒体のみ取り扱ってきました。もちろん紙媒体の良さを知ってほしいという気持ちは今でも持っています。しかし、毎回発行をする度にいただくお問合せで一番多いのが


『設置店舗が近くにない』
『着払いでいいから送ってほしい』
『TSUNAをもっと配りたい』

このようなお問合せです。


どうにか、TSUNAを読みたいと思ってくれている全ての人にTSUNAを届けたい。しかし紙媒体には拘りたいという気持ちと葛藤の日々でした。それこそ、とと姉ちゃんの「どうしたもんじゃろのぉ~」です。


ひとまずホームページをリニューアルし、そこでの取り扱いをおこなっていきます。デジタル化をすることで今後はより多くの若い人に相撲を知ってもらう機会を増やし、相撲をやってみたいと思う子供たちが増えていくようにしたいと考えております。


もちろん個人スポンサーでもあるサポーター様にはさらに多くの特典をお付けできるよう、サポーター限定の記事や動画も取り扱っていく予定です。


長くなりましたが、今後も5年、10年と続いていけるよう精進いたしますので相撲情報誌TSUNAをご愛読いただきますよう何卒よろしくお願いします。




株式会社KTプランニング
代表取締役

相撲情報誌TSUNA編集長
竹内一馬










2016年6月26日日曜日

大いなる力には大いなる責任が伴う

ご無沙汰しております。


このブログを始めてから最長のサボリ期間になってしまいました。


サボリと言ってしまうと聞こえが悪いですが、正確に言えばブログに手を着けられなかったというところでしょうか。



日本酒が大好きな竹内一馬です。



前回更新から今日まで竹内一馬的重大事案が同時多発して個人のスペックを少々オーバーしておりました。


単純にTSUNA制作期間であったこともあるのですが、他にもいくつか難題が降りかかりまして第一優先しなくてはいけないことが一気に5つくらい出てきた感じです。


しかし、少しずつでいいからやっていくもんですね。なんとか残り2つくらいまで減ってきました。



そうこうしていたら20日で僕も35歳になっておりまして、いよいよアラフォーになったわけです。人生を考えるとなかなかビビリますよ。失うものは何もないのでお気楽な人生と言えばそうなのですがね。



さて、まずはツナイトの話から。ツナイトって何?って人もここの読者にはいるかもしれないので、少しばかりツナイトの説明をさせていただきます。



相撲情報誌TSUNA編集部が企画・運営しているトークイベント【抱きしめてツナイト】通称ツナイト。




始まりは2013年1月31日でした。



TSUNAを創刊したのが2012年9月。2号を出したのが2012年11月。



この頃、阿佐ケ谷ロフトAの店長さんから
「うちで相撲のトークイベントをやらないですか?」

というお誘いの連絡が入る。


バンドマン時代には観客0でのライブを経験したこともある筆者。しかも、ロフト系列ということでさらに身構えます。ロフトは新宿にもライブハウスがあって、下北沢シェルターも同じ系列です。バンドマンからするとロフトやシェルターで演奏したことがあるというだけでひとつのステータスになるような、そんなライブハウスなのです。


そんなロフトからイベント開催のお誘い。



完全に罠だと思いました。



会場利用料を搾取するためだけの営業メールだと判断し、お断りしようと言っていたのですが、当時の編集長野村がなぜか断っていないのです。僕は何度も「やらない」という意志を見せていたのですが


「会場費掛からないって言ってるんだよ」



と食い下がってきます。考えてみれば、会場費が掛からないのであればプロモーションのひとつとして一回くらいいいかなと思うようになり、徐々に口説かれていくわけです。



阿佐ケ谷ロフト側からは相撲好きの能町みね子さんという方がいて、出演してもらえれば彼女自身も集客力があるし、お友達を頑張って10人くらいずつ呼んでいただければ形にはなると思いますとのこと。



集客……。



売れなかったバンドマンは自分たちを観てもらう「チケット」という商品がどれだけ売りづらいかというのを知っています。はっきり言って自信なんてこれっぽっちもありませんでした。




そうこうしているうちにチケットも発売され、それにともない友達に「トークイベントやるんだけど遊びに来て!」というバンドマン時代と変わらない勧誘メールを送る。



いよいよ開催一週間前という状況で、遊びに来てくれる友達は3人(友達少なっ!笑)。


末代まで馬鹿にされるだろうなと思って腹を括っていたいたのですが、ロフトから連絡が入り
「チケットが売り切れました」

という知らせが入る。


こうなると逆にハードルが上がってしまうわけです。しかし、やり始めてみたら来場いただく関取達のトークが上手いので司会もさほど苦戦することもなく(そう思ってるだけですが)、無事に?イベントを終了することができました。



あとは、なぜか東京の本場所後に開催するというのが恒例となってしまい、今では名古屋でも開催させていただけることとなったのがツナイト発祥のお話。


どんなトーク内容かといいますと、正直なところインターネットでは書けないようなことも話しています。ゴシップ的なところではなく、どちらかといえば下ネタとかも出るような感じです。あとはNHKさんのインタビューでは語れない少し砕けた話ですかね。あとパネラー陣も少しサブカルな感じの話が好きな人が多いのでマスコミの方々が報じない(報じるまでもない)話とかね。


力士のプライベートに近いところが観られるというのが正しいかもしれませんね。



今年の8月は仙台も行きますし、先日TSUNAツイッターではアンケート機能を使い、どの地域が開催希望者が多いかを調べさせていただきました。年末には今までより少しばかり広い会場で開催ができればと思っております。







最近思うんですけどね、僕が好きな元中村部屋の彩豪さんが言ってたんです。

「スパイダーマンの映画の中でのセリフなんだけどね、大いなる力には大いなる責任が伴うというセリフがあって、とてもいいセリフなんだよ」


と。聞いたときに僕もいい言葉だなぁと思ったんですね。TSUNAも最初は「作ることがゴール」になっていました。ツナイトも「開催することがゴール」でした。



それが今では作ることがゴールではダメな環境になってきました。お金を出してでも読んでくれる方、発行のためにお金を出してくれる企業、もちろんそれは読者の皆さまがいるからなんですね。ありがたいことに読者の方々も増えているし、読んだことがないけど読みたいと言ってくれる方も増えました。


逆に、もう読みたくない、読むに値しないという方もいます。



そういった様々な人がいる以上、発行することがゴールになっていてはいけません。スポンサーには出してもらっている金額以上の価値を出したいし、読んでくれる人にはクリスマスプレゼントの封を開けるようなそんなドキドキを持って読んでほしいと思っています。もう二度と読みたくないと思っている方にもまた読んでいただけるような内容にしなくてはいけません。


それがTSUNAの責任なんだと思っております。ツナイトも同様です。初回の開催よりもチケット値段があがっています。やはり貴重なオフに来場いただく関取にはノーギャラでというわけにもいきません。来てくる方全員が満足してくれるようにしなくてはいけません。



創刊からこの4年弱の期間でTSUNAの環境、責任というのは大きく変わりました。でも、根本にある「格式高いと思われがちな相撲をもっと身近に感じて欲しい」「大相撲の奥深さ、面白さを伝えたい」というのは創刊当初から変わっていません。だって面白いんですもん。



毎号、毎号やれることを、最大限に無い知恵を絞り作っていますので、見捨てずに今後も読んでくださいね。笑



ということで、今日はこれくらいにしておきます。
皆さん!TSUNAのフォトコレクションをYouTubeにアップしてますからガンガン観てくださいね。



それでは!明日は番付発表ですよ!



名古屋場所の足音が少しずつ、少しずつ近づいてます。
楽しみましょうね!


フォトコレクション1st




フォトコレクション2nd


2016年6月11日土曜日

反省からのTSUNA2号の角界ダンディズム調査

さすがに反省しました。


あんな内容のブログを更新していたら読んでもらえなくなる。笑



ということで素敵な週末の読み物として角界ダンディズム調査の第二弾をアップしますね。





角界ダンディズム調査



相撲1500年の歴史から、日本人の粋と優雅を探り出せ。
手がかりは川端要壽氏の名作「物語日本相撲史」だ。




相撲は「世界一小さい戦場」で闘う格闘技である。われら日本人は、小さい。世界に打って出る際は、精密機械とか半導体とか、とにかく小さくなければならない。そして「世界最小詩形」として売り出されているのが俳句(≒俳諧の発句)である。


むかしきけちゝぶ殿さへすまふとり 芭蕉


 俳聖・松尾芭蕉の句碑が、秩父市にある。漢字に直せば、「昔聞け秩父殿さえ相撲取り」である。「いいから昔の話を聞いてみなよ。あの秩父殿だって、ホントは相撲取りだったんだぜ。笑えるじゃねえか」



なぜ笑えるのか。角川文庫の「芭蕉全句集」によると、「剛勇にして徳望も備えた武将を相撲取りと言いなおしたおかしみの句」ということになっている。けれども、問題はそう単純ではない。理由については、後述する。



芭蕉は江戸時代の人であり、彼の言う「昔」とは、鎌倉時代である。秩父殿とは、源氏の武将・畠山重忠だ。あるとき、関東最強を標榜する長居なる人物が、時の最高権力者・源頼朝の官邸になぐりこみをかけてきた。だが秩父殿=重忠にあっさり肩をつかまれて、骨をくだかれてしまったらしい(『古今著聞集』)。たしかに、剛勇にして徳望も備えた感じである。またこの時代には、かの高名なる「河津掛け」をあみだしたといわれる河津三郎や、その相手とされる俣野五郎といった著名力士がいた。「河津掛け」をかけたのは実は俣野だという説もあるらしいが、それよりも重大な事実がある。



彼らはみな武士なのだ。頼朝は、武士必須のトレーニングとして、流鏑馬(やぶさめ)、競馬(くらべうま)、そして相撲を課した。いざ戦争となれば、人間、こまめに弓矢を放ったり、重い刀を振りまわしたりなど、そう何時間も続けられるものではない。最後は取っ組み合いになるのは、現代における中学生のケンカと同様である。それを頼朝は見抜いていた。つまり相撲は、あくまで実戦的な、有用な技術であったわけだ。



 いわゆる「武家相撲」の時代である。源頼朝は、武士の世を築くと同時に、相撲からダンディズムを奪った張本人であった。 鎌倉時代の前は、平安時代である。天皇や貴族の前で行われた「相撲節会(すまいのせちえ)は、五穀豊穣を祈願し、祝うための神事であった。より具体的にいえば、農作物がちゃんと収穫できるように祈るセレモニーの一環であった。力士ならぬ相撲人(すまいびと)は、明日のダイコンのために、相撲を取っていたのである。



とはいえ、貴族の前で相撲を取ってさえいれば、空からダイコンが降ってくるわけではない。畑を耕し、種を蒔くのは、あくまで農民である。百姓である。われらの先祖である。


 
尊い御身分の方々は、われら貧民どもがきっちり労働をこなすことを願って、きらびやかな儀式を催し、相撲を見物していたのだ。もっとも、贔屓の相撲人が勝とうが負けようが、翌年に雨が一滴も降らなければおしまいである。農業のシビアな現実を鑑みれば、相撲などまるで無用な、どうでもいいことである。そのどうでもいいことを、あたかも有意義な行為であるかのように、厳粛に執り行ったのである。まったくお気楽な連中だ。



 十八世紀英国にあらわれたダンディたちは、まさにお気楽な連中であった。パーティーでの着こなしだの立ち居振る舞いだの、どうでもいいことに価値を与えた阿呆どもであった。いうなれば神事時代の相撲は、ダンディズムそのものだったのである。



 さて、芭蕉。彼の本業は、スパイであった。当時の言葉でいえば忍者、現代でいえば探偵である。ガチガチの幕藩体制であった当時、さして身分の高くない人間が、そうホイホイ自分探しの旅に出られたはずがない。また病弱な老人が、「おくのほそ道」二四〇〇キロメートルの道程を縦横無尽に闊歩できたはずがない。実際はどうだったか知らぬが、あやしい話こそ、積極的に採用するのが当コラムの方針である。



 探偵といえば、シャーロック・ホームズである。十八世紀ダンディの滅亡を嘆き、十九世紀末に復活したダンディを体現する人物だ。野暮を蔑み、優雅を愛するホームズの血が、芭蕉にも流れていたのである。芭蕉は「秩父殿などどエラそうにしているが、所詮は(貴族趣味のエレガントを忘れて、武士道という名の実利主義に走った俗物の)相撲取りさ」と嘲笑していたのだ。




 冒頭の句の真意はこれである。俳聖・芭蕉とともに、ダンディ不在の時代を嘆こうではないか、諸君。

原文ママ







いかがでしたでしょうか?
それでは今度こそ素敵な週末を!





相撲のトークイベント

少し更新の間が空いてしまいましたね。そういうときもあります。



忙しいアピールをするつもりは毛頭ないのですが、忙しいというより、やらなくてはいけないことを効率良くできていないだけな気もします。自分の中では優先順位を付けて行動していてもイレギュラーに優先しなくてはいけないことも出てきて、結局何から手を着けていけばいいのかよくわからなくなります。



そういう時間の使い方が上手い人に憧れたりしますが、なかなかそんな人になれないのが現状ですね。



6月というのは原則国内の巡業はなく、海外巡業も開催がなければ各相撲部屋が合宿をおこなったり、このときを利用して部屋単位で海外旅行に行ったりすることが多いです。もちろん結婚式も必然的に多くなるわけですが、今月は誰か結婚式を挙げたりしてるんですかね?




先日、抱きしめてツナイトを阿佐ケ谷で開催してきました。今回の超重量級ゲストは時津風部屋の正代関と錦戸部屋の千田川親方。千田川親方は過去に何度か出演はしてくれていて、そのときはいつも際どい話をしてくださるので個人的にはスリルがあって楽しいです。笑



正代関は乾杯こそビールでしたが、二杯目はツナイト史上初のカルーアミルクをオーダーされてました。笑



二人共それぞれの個性が見られるトークイベントとなり、終始笑いの絶えない状況だったので御来場いただいた方は満足していただけたのではないのかな?と思っております。いかがでしたか?



どちらにせよ反省点もあるわけで、少しずつ修正していきたいと思います。
といってもトークイベントって生物なのでそのときの話の流れもあるから簡単に舵を切れるわけではないんですよね。その点、司会業を本職としている方はすごいですよね。僕なんてツナイトでは司会としているはずなのに、1ファンとして観ちゃってますからね。それほど力士や親方の話って面白いんですよ。



ツナイトに限らず相撲関連の方がトークイベントをやるときは一度参加してみるといいですよ。



個人的にオススメはTSUNAでも連載をしてくれているみよこちゃんが出ている「うっちゃりトーク」というイベントは面白いと思う。毎回浅草の喫茶待合室で本場所後の日曜日に開催されているので興味のある方は一度足を運んでみるのもありでしょう。







ちなみにツナイトは名古屋場所前の中日新聞とのタイアップツナイトはニコニコ生配信でも視聴できるので一度御覧になってみてください。



きっと僕が知らないだけで相撲を語っているトークイベントはたくさんあるかと思うので御存知のイベントがあれば逆に教えて下さいね。




本場所開催までやっと1カ月切りました。名古屋場所はどんな展開になるんでしょうね?取材が進んで情報が入ったら本場所予想もこのブログでやってみようと思います。



あと、TSUNAのフォトコレクション観ていただけましたか?かっちょいい写真をたくさん使ってますので是非何度でも観てあげてくださいね。相撲好きの外国人のお友達なんかがいたら是非!


目指せ相撲ユーチューバーということでYouTubeにアップしてます。

こちらが第一弾。





こちらが第二弾。





皆さまよろしくどうぞ。


それではまた。

2016年6月5日日曜日

角界ダンディズム調査

先日ツイッターで呟きましたが、ノートパソコンにコーヒー(ブラック)を盛大に撒き散らしてしまい押せないボタンがあるのでかなり凹んでいます。



さらに、電源を入れてパソコン本体が熱を帯びてくるとコーヒー臭くなって壁に向かってぶん投げてしまいそうになります。



かわいそうなノートパソコン。



こんにちは。竹内一馬です。



YouTubeってほんと便利ですよね。昔の相撲の映像なんかも残っていたりするし、探せば探すほど面白い動画が出てくる。さっきも相撲の映像を観てたんですけど、最終的には腕相撲の映像観てましたからね。笑



TSUNAも現在23号の制作に入っておりまして、名古屋ツナイトのことも同時進行なので、てんやわんやな感じなのですが毎日それなりに楽しくやっております。



さて、今回はTSUNAサポーター様には付けていたバックナンバーの中から、今はもう誌面でしか読めなくなった記事を一部だけ紹介していこうかなと思っております。



TSUNAには創刊当初、不動哲平さんというライターさんがいました。不動さんは短歌を愛する方だったのですが、創刊から8号までTSUNAで「角界ダンディズム調査」というコラムを書いてくれていましたが、癌によりこの世を去られました。



角界ダンディズム調査は独特の言い回しとリズムで、さらに相撲界をダンディズムと比較するという斬新なコラムだったので、僕を始め創刊当初から多くの読者に愛していただけたコラムでした。



最近は角界ダンディズム調査のような読み物的要素が少なくなってはきているので今後こういったコーナーも作れたらいいなと思っております。今回はその角界ダンディズム調査の創刊号での記事を皆さんに読んでいただけたらと思いブログを更新しました。




【角界ダンディズム調査】

「相撲」とは、ズバリ「格闘」を意味する言葉だったそうだ。なにせ、わが国初の相撲は、建御雷命(たけみかづちのみこと)と、建御名方命(たけみなかたのみこと)との対戦だったのである。両名とも、神様である。われら日本人は、この世に出現した時点で、すでに相撲を取っているのだ。



 そうであるならば、中には、ちょっとおかしな連中もいたはずである。最強・最高の力士もいいが、やはり、ちょっとおかしな人がいなければ、世界は成り立たない。そんな人たちを、仮に「ダンディ」と呼ぶことにする。



 ダンディとは、十八世紀末、英国ロンドンに現れたおかしな連中だ。産業革命の影響でブルジョワジーが台頭し、帰属の優位性がゆらいだときに、貴族よりも貴族らしくふるまう平民が「ダンディ」と呼ばれ、時代のスターとなったのである。連中は、髪型、服装、言葉遣い、パーティーにおける態度など、どうでもいいことのプロを自称し、えらそうに講釈をたれることによって、王族や貴族に雇われていた。ネクタイの結び方やヒゲの抜き方(剃り方ではない)まで、さも偉大な行為であるかのようにふるまったのである。現代日本に流布している、ナイスミドルのちょい悪オヤジ的なイメージとはずいぶんちがうが、そのへんはここでは触れない。



 よく引き合いに出されるのが、幕末、日本の京都に現れた新選組である。江戸幕府が衰退して武士の優位性がゆらいだときに、武士以上に武士らしくふるまった農民たちだ。彼らもまた、武士(会津藩)に雇われて、盗みをはたらいたら切腹、一般人と恋愛したら切腹、とにかく「士道」に背いたら切腹などという隊規を掲げて暴れまわっていた。数年前にNHKの大河ドラマ「新選組!」によって注目が集まり、ようやく京都の屯所跡などのゆかりの地が整備されたが、今も昔も、京都人には嫌われているようである。同じく大河ドラマの「龍馬伝」では、一転してチンピラ同然に描かれていたのだが、やけにリアルに見えた。



 ダンディも新選組も、本物の貴族や武士に雇われつつ、おのれの役割を演じきり、はかなく消え去った時代のあだ花である。本物よりも本物らしく。文学や芸術にも通じるこのスピリットを、相撲界にも見つけ出したい。当コラムの主眼は、そんなところにある。



 もっとも、ちょっとおかしな連中が、それだけで歴史に残れるものではない。ダンディはシャルル・ボードレールやオスカー・ワイルド、新選組は子母沢寛や司馬遼太郎といった文学者の「物語」によって、アンチヒーローとして後世に語り継がれたのである。実際のところがどんな人物であったのか、あやしい部分も多い。けれども、多少あやしいからこそ、ダンディズムなる概念が成立し、チンピラ集団が悲劇の主人公たりえたのである。よって、主に川端要壽氏の名作「物語日本相撲史」(筑摩書房)を頼りに、文学をひとつの拠り所として、角界におけるダンディズムを調査していきたいと思う。







 さて、冒頭のタケミカヅチは鹿島神宮、タケミナカタは諏訪明神に、それぞれ祀られている。両名とも、勇武の神様であり、「古事記」にもその名がある。だが、「相撲の神様」として世間に認知されているのは、出雲国飯石群能見の郷土・野見宿禰(のみのすくね)である。両国国技館のそばに、その名も野見宿禰神社がある。



 ウィキペディアには、「日本相撲協会が管理している相撲神社。両国国技館にほど近い墨田区亀沢にある。年3回の東京場所の取組編成会議終了後に、日本相撲協会執行部と審判部幹部、各一門の審判委員や、相撲茶屋関係者などが集まって例大祭を行っている。祭典を取り仕切っているのは出雲大社教の神職。なお、新横綱が誕生した場合には、この社殿の軒先で土俵入りを披露するのが慣例となっている。境内には歴代横綱碑などもある」と(この原稿を書いている時点では)記されている。また日本書紀によると、野見氏は、垂仁天皇の御前試合において、当時最強を誇った大和国の当麻郷の郷士・当麻蹶速(たいまのけはや)を破って一躍名を挙げたそうだ。ただこの当時の試合は、突く・なぐる・けるをメインに、相手方が死ぬか降参するまで問答無用で闘われたものらしい。まだ「相撲」が格闘技であった時代のエピソードである。さすがに、ダンディズムのようなどうでもいいことが入り込む余地はなさそうだが、この野見氏の後裔が、この勉学の神様・菅原道真といわれているらしいから、油断もスキもあったものではない。さらにいえば、野見VS当麻の決戦が開催されたのは、垂仁天皇7年7月7日であった。この日付が、のちに相撲が神事として開催されるたびに、いちいち採用されたというから驚きである。彦星と織姫によるロマンティックな邂逅として知られる七夕が、格闘の記念日でもあったというのは、
なんとも示唆に富んでいるではないか。



 生きるか死ぬかの真剣勝負であった相撲は、やがて占いの一貫として、庶民の間で活躍する。農作物の出来不出来を占うために、農民たちが力くらべをしたのだ。現代においてもなお、農業は自然や天候によって大きく左右されるギャンブル性の高い産業である。縄文・弥生時代の、当時最先端の農業を開発した人々が、自然や天候を神様と捉えたのも当然であろう。彼らは部落における最強選手同士を闘わせ、神の恩恵を争った。勝った方が、めでたく農作を得られるわけだ。むろん、実際に得られるかどうかは、時間が経ってみなければわからない。けれども、時空を超えておのれの運命を知ることこそ、占いの醍醐味である。かくて相撲は、神様同士の争いから、神様に捧げる神事となった。



 このようなロマンティシズムに、皇室や貴族が飛びつかぬはずがない。部落同士の小競り合いから、国家の豊作を願う一大イベントとなったのは、聖武天皇の御代である。そしてかの絢爛たる平安時代になって、神事・相撲は、いよいよ発展をみせるのである。平安時代に神社が大々的に新築・修築され、朝廷において舞楽・流鏑馬・競馬などと並んで、相撲が「相撲節会(すまいのせちえ)」として開催されるようになる。時が経って、相撲節会(すまいのせちえ)がなくなっても、神事相撲自体は各地の神社に受け継がれている。現代に残っているものも多数あるから、いかに盛大な催しであったかわかろうというものである。ダンディが現れるのは、文化の円熟期と相場が決まっている。われらのヒーローが登場するのはもうすぐだ。



 在原業平(ありわらのなりひら)。そう。平安朝きっての、名うてのプレイボーイである。わが日本にもダンディがいたとすれば、真っ先に名前が挙がるのが彼であろう。



 【世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし】(古今和歌集)
「この世に桜さえなければ、春を過ごすにも、もうちっと呑気でいられただろうよ」



 この「桜」を即物的に捉えれば、いかにも雅な、しゃらくせぇ感じの歌である。けれども、仮に「桜」を「恋」に置き換えてみると、一挙に脳天気な恋愛模様があらわれる。どちらにしてもしゃらくせぇかもしれないが、少なくとも後者は、われら平成の庶民にとっても、条件は同じはずである。恋のむせ返るような息苦しさは、誰でも一度は経験しているであろう。生活の合理性を考えれば、
恋など面倒くさいだけである。自由恋愛の戦場にさらされるより、かえって政略結婚で見合いをし、炊事洗濯をやってくれる女性をあてがわれた方が、どれだけ気楽か知れない。けれども、それでもなお、われわれは恋をせずにはいられない。そして毎年、冬がくるたびにくりかえされるクリスマスやバレンタインデーがもたらす圧力は、春のたびにくりかえされる花見狂奏曲にそっくりではないか。桜などそこらじゅうに咲いているのに、われわれはなお御座を敷いて寒風にふるえながら、夜桜見物に執念を燃やすのである。



 話がそれた。業平は、天皇の血筋でありながら、政変によって臣民に格下げされ、出世の道を閉ざされた人である。その鬱憤を、どうでもいいことに熱中して発散し、かえって名をとどろかせたのだ。そうでもいいこととは、恋と和歌である。皇室や藤原氏の女性たちを次々と籠絡し、同時に、小野小町らとともに「六歌仙」と称され、「古今和歌集」に数多くの歌が採用された。時の権力者・藤原氏に迫害され、京を追われて東国に下った「をとこ」の悲哀を描く「伊勢物語」の主人公のモデルとされているのが、かの「源氏物語」の光源氏の造形にも、多大な影響をあたえた。



 その、天下無敵のダンディが、なんと相撲取りだったらしいのである。いや、正確に言えば、恋も和歌も相撲もうまいスーパーマンだったのである。「栄歌物語」には、まだ御年19歳であった当時の宇多天皇を、豪快に投げ飛ばしたという記録があるそうだ。日本に初めてあらわれたダンディが、相撲界が初めて生んだダンディでもあったのである。さすが国技というべきか。



 しかしながら、純英国風の「ダンディ」と「プレイボーイ」は、似て非なるものである。また平安貴族にとっては、作歌はどうでもいいことではなく、ほとんど仕事に近かったそうだ。とすると、業平をダンディと呼んでいいかどうかは、多少あやしい。だが多少あやしくなければ、ダンディではない。



 最後に、業平の有名な歌をもうひとつ挙げておこう。



【名にし負はば いざこと問はむ  都鳥  我が思ふ人は  ありやなしやと】(古今和歌集)
「都鳥を名乗るからには、(京の)都に詳しいだろうね。では問おう。都に残してきたわが愛しの人は、生きているのか、いないのか?」



言問橋。業平橋。隅田川。大相撲の聖地・呂国は、日本初のダンディが想いをはせた場所にほど近い。


相撲情報誌TSUNA 創刊号 角界ダンディズム調査より 原文ママ



いかがでしたでしょうか?反響次第ではバックナンバーの記事の一部を今後も定期的に紹介できればと思います。全ページはさすがにできないですが、少しでも相撲情報誌TSUNAを知っていただければと思います。



では、今日はこの辺で打ち止め。


2016年6月2日木曜日

お酒の豪快エピソード

もう6月です。暦のうえではジューンです。



なんだか最近、このブログを更新するのが楽しくなってきました。特別何かを書こうとしているわけでもなく、どこかへ取材に行ったわけでもないのですが、こうやって自由気ままに文章を書くというのは楽しいものだなと思うようになりました。


これならしばらく続けることができそうです。





昨日なんかもそうだったのですが、元玉ノ井部屋の力士で現在はウェブ制作の会社を経営されている田代さん(元東桜山)と打ち合わせ後、帰宅して事務作業。

・サポーター様へ特集募集の案内メール送信
・新規サポーター様のリスト更新、梱包と発送
・年間更新してくれたサポーター様のリスト更新、特典梱包と発送
・請求書発行


以上のことをやっていると、あっという間に一日が終わっていたりする。ここにTSUNA制作が佳境に入ると、さらにここへ取材や原稿執筆などが入ってくるため作業は深夜に及ぶことも少なくない。



時々、自分に負けて22時くらいから晩酌してしまったりする。こうなると終わりである。晩酌ひとつにしても「もう今日はこれ以上仕事しないぞ!」という決意のもと酒を飲むわけです。




いったい何を言いたいのでしょうか?笑



しかしながら、最近ようやく休肝日というものを覚え始めまして週に3日は肝臓を休めています。



お酒の話になったのでお酒で驚いた角界の仰天エピソードを書いていきますと、前回北太樹関から聞いた仰天エピソードを書きましたが、今回も北太樹関から聞いた話になります。



以前、沖縄のとある離島に行ったときの話。
その夜は稀勢の里関とお酒を飲んでいたそうです。付け人(相撲の場合、付き人とは書かず付け人と書くのが正式)と3人で泡盛を飲んでいたそうです。



途中からお互い
「絶対先に潰れてなるものか」


という雰囲気になり、負けられない闘いが勝手に始まったそうです。周りの皆は次々と潰れていって、結局最後は稀勢の里関と北太樹関の一騎打ちになり、終わった頃には1升瓶の泡盛が9本カラになっていたそうです。


1升が1.8リットルなので単純に16.2リットルですね。しかも泡盛はアルコール度数が40度のものが多いです。僕もお酒は好きですが、さすがにその量を聞いたときにはヒキました。お酒に弱い人なら致死量だと思います。


相撲界って面白くて、酒に関しては白黒ハッキリ別れます。一切飲まないか、めっちゃ飲むか、ほとんどがこの二つです。


以前、年末に忘年会をやろうということで北太樹関の自宅で開催されたホームパーティーにお邪魔しました。そこには横野レイコさん、フジテレビアナウンサーの向坂さん、鳰の湖さん、北播磨関などがいて、さらに途中で稀勢の里関も登場。


飲めや飲めやの大宴会となり、僕は稀勢の里関に





「TSUNAぁ!飲めー!」

と言われ、日本酒を死ぬほど飲まされた過去があります。途中から記憶もなく、北太樹関のリビングで倒れるかのように寝ていたわけですが、起きたら忘年会翌日なのにその年一番の二日酔いになったということは言うまでもありません。





翌日、大嶽部屋で行われた北の湖部屋との合同餅つきでは、大砂嵐関に10升マスでかわいがられ、帰り道の公園でしばらく動けなかったのはいい思い出です。昼ごろ大嶽部屋を出たのに気が付いたら夕方になってました。



全てが豪快。だから魅力があるんですよね。


北太樹関と飲んでいても最終的にはアイスペールにウイスキーを入れてハイボールを作って飲んでるところとか今まで何度も見てきました。とにかく力士はすごいとしか説明のしようがないんですよね。



そんな現場をいくつ見たところで僕がすごくなるわけではないので注意が必要ですよね。笑



さて、前回TSUNAのフォトコレクションをアップしたのですが、引き続き第2弾をアップしてみました。作り始めるとけっこう楽しくて最近ハマッています。
本誌には載らなかったかっちょいい写真がいっぱいあるので是非御覧になってください。今回のBGMは友人がGuitarを弾いているドメタルな曲にしてみました。激しいのが嫌いな方ごめんなさい。






それではまた更新しますね。


2016年5月30日月曜日

ツナイトとかTSUNAとか

わかる人にだけわかっていただければいいのですが、ストリートファイターIIというゲームが小学生のときに流行りまして、波動拳という技は進行方向が右ならば↓↘→+パンチボタンだったんですけど、それより難しい技が→↓↘→+パンチボタンで繰り出される昇竜拳なのですが、昇竜拳の方が先に使えるようになったことで有名な竹内一馬です。




五月が終わっちゃいますね。時間が経つのは当たり前のことですけど、四季を感じることができるというのは幸せですよね。春夏秋冬だと、汗はかきますが気分的には夏が好きです。でも肉体的には汗をかかない冬が好きです。



最近気付いたんですけど、パソコンでカタカタ文字を打っていると、句読点が少なくなりがちですね。仕事のメールなんかも改行することで句読点を付けた気になっていますが、文章で考えると句読点を入れた方がいいように思います。この辺のことは学がないために何が正解かわかりませんが、念のために何度か読み返して、スムーズに読める文章なのか毎回確認はしているのですが、元々の性分が雑なため、思うようにいっていないのも事実。こればかりは日々稽古ですね。



相撲情報誌TSUNAの巻末には編集後記と我々が呼んでいる「ちょこっとコメント」を書いているページがあります。そこの延長線のようなものがこのブログだと思ってください。



6月になると6日に阿佐ケ谷ロフトAで両国での本場所後恒例になってきている【抱きしめてツナイト】という相撲のトークイベントを開催します。




「TSUNAナイトでツナイトにして上手く何かと引っ掛けたいなぁ。例えばツナイト2とかアダルトな感じがいい」

という話から
「さすがにエロコンテンツのあったテレビ番組の名前はマズイな」



となり、結局のところ「抱きしめてツナイト」に落ち着いたわけですが、このツナイトも今となっては恒例行事のようになってはいますが、最初はやりたくなくてやりたくなくて仕方ありませんでした。



たまたま、阿佐ケ谷ロフトAの店長さんから連絡がきてたのですが、本当に最初はお断りするつもりでした。なぜなら僕たちはトークイベントをやったことがないからです。人前で長時間、相撲のことを喋るなんてことは恐怖でしかなかった。バンドマン時代のライブでは観客が0人なんてことも経験していたので、当然集客には自信なんてこれっぽっちもなかったわけですが、蓋を開けてみたら初回から今まで全て満員御礼。ありがたいことに最近では発売開始後すぐに札止めとなる状況が続いております。



ツナイトを始めて思ったことは
「こんなにも相撲の話を聞きたい人がいるんだ」

ということ。毎回反省点もありますが、SNSなどで「次も楽しみにしている」という声は確実に届いてて、素直にそれがあるからこそやれているところはあります。



僕は歌もベースもヘタクソでした。だから音楽で成功することができなかったのでしょう。そして新たに始めたTSUNA作り。恥ずかしながら僕は所謂「頭のいい学校」の出ではありません。むしろ三重県内ではかなり低い方の偏差値の学校でした。そんな高校でさらに僕はまったく勉強もせず白球だけを追い掛けて、夢見て始めたバンドはいつの間にか辞めていて、気が付いたら勝算なんてないのにフリーペーパーを作っています。



だからというわけではないですが、文章もヘタクソ(むしろ何が上手い文章かすらわかってません)、フリーペーパー作りの基本すら勉強したことはないです。


でも、そんな僕が一番気を付けていることは「なるべくわかりやすく」「誰でもわかるように」ここだけは崩したくないと思っています。そんなフリーペーパーなんです。TSUNAって。




トークイベントもそう。人前で喋るプロと比べたら顔じゃない(相撲用語でまだまだ身の丈にあっていないという意)ですが、それでも来てくれた人に少しでも相撲の良さを知ってもらって、相撲ファンの兄弟子たちにはもっと相撲を好きになってもらえるように、精一杯やるだけなんです。



人間臭い。そんなフリーペーパーなんですよ。TSUNAって。
僕はそう思います。


どうぞこれからもご贔屓によろしくお願いします。
まだツナイトに来てない方、まだTSUNAを読んだことがない方にいつか僕の思いが届いてくれたら嬉しいです。


頻繁に更新できるよう頑張ります。


それではまた。













2016年5月26日木曜日

仰天エピソードとタバコ

相撲情報誌TSUNAを作り始めてそろそろ4年の歳月が流れようとしています。



TSUNAは2012年9月創刊なのですが、それよりも一年ほど前から取材を始めていたので、実際に相撲の世界に身を投じて4年は経ったのではないかと思います。紆余曲折ありましたが今のところ作り続けてよかったというのが本音です。



最初は川口市にあるキャメルスタジオという音楽のリハーサルスタジオを経営している野村と二人で始めましたが、正直なところフリーペーパー作りは全然儲からないし、彼も就職をしてしまったのでフリーランスで仕事を受けることがなくなったため、やがて僕一人となるわけですが、毎号毎号資金繰りはたいへんで、今でもたいへんなんですよ。



創刊当初よりは良くなったものの依然厳しい状況です。かと言って僕が高級車を欲しいわけでもないですし、高級な腕時計が欲しいタイプの人間ではなく、車は動けばいい、時間がわかればいいという感覚の人間なので、それはそれでよかったのかなと思っています。世の中簡単な仕事なんてないんですよね。世間知らずの僕がここ数年で痛感したことでした。





さて、編集作業も、執筆作業もやったことがない僕がTSUNAを作り始め、取材をするごとに毎回「まじかよ!?」って思わされたのが相撲界。いったいどんなことに驚いてきたのか?まずはこちら






体重計です。250キロまで計測できます。ここ最近は相撲協会が健康診断で使用する体重計もデジタルのものなのだそうですが、相撲部屋には昔からのアナログ体重計のあるところが多いです。画像は時津風部屋にある体重計なのですが、北太樹関と飲んだときのこと、少し脚色されてはいると思いますが、

「大露羅は250キロのやつで量れないから300キロまでのマグロの重さを量る体重計を築地で借りてきて量ったことがある」


と言っていました。笑



相撲をあまり知らない人のために1つずつ説明していきますと、まずこの話を聞いたのが現在の山響部屋(当時は北の湖部屋)に在籍する北太樹関という関取。大露羅とは山響部屋所属の力士で現役最重量の力士のことです。平成28年5月16日発売の大相撲ジャーナルによる全相撲人名鑑によりますと275キロだそうです。




ね?話のスケールが大きすぎて、まじかよ!?ってなるでしょ?しかもどこからどこまでが本当なのかもわからなくなるんですよ。だって体重計は250キロまでだから275キロの大露羅さんを計測できないわけですよ。そうなると北太樹関が言ってることを信じるしかなくなるんですよね。笑



この真偽はまた一緒に食事をさせていただきたときにでも確認してきたいと思います。






話は変わって、僕は愛煙家です。



昨今の禁煙ブームにより肩身を狭くしている人のひとりです。



最近では長い間タバコを吸っていた友人も久しぶりに再会したらタバコを止めていました。タバコは百害あって一利なしと僕が子供の頃から言われています。



体には良くないものだとわかっているのですが、僕はタバコが好きです。なんなら今吸っている銘柄は10年以上同じものを吸っています。



アスリートの喫煙について少し書こうかなと思うのですが、プロのアスリートというのはスポンサーがいるため基本的にマイナスイメージになることを避けていかなくてはいけません。そこで疑問なのですが、喫煙はマイナスイメージなのでしょうか?



そもそもいつからマイナスイメージになってしまったのでしょうか?


こちら

※相撲博物館提供

浮世絵ですよね。これ阿武枩(松)と書かれた人物が手にしているのはキセルなんです。当時のタバコですよね。昔は今ほど喫煙に対するマイナスイメージがなかったので、こうして浮世絵にも喫煙しているシーンが書かれていたりするんですよね。何かの映像で観たことがあるのですが、白黒の映像だったので昭和の映像だったと思います。ファンの方にサインを求められたので色紙にサインをしている力士(たしか現役の北の富士さん)がくわえタバコでサインを書いていたんですよ。



愛煙家の僕としては「かっこいい!」「ハードボイルドやな!」となるのですが、最近の世間はそうは言ってくれなそうな雰囲気がぷんぷんしてますよね。




現役生活21年、江戸本場所在籍36場所中(大関在位27場所)で、通算黒星が僅か10・勝率.962で、大相撲史上未曾有の最強力士とされている雷電爲右エ門が使っていた煙管などが江戸東京博物館で見れたこともありました。



僕個人の考えですけど、相撲界にいたってはそんなに喫煙によるマイナスイメージと繋がらない気もするし、それをかっこいいとすら思えるので、力士側もあんまり気を使わないで欲しいなとは思うんですよね。



タバコを吸っている僕が言っても何の足しにもならないでしょうが。。。笑



議論するほどのことでもないし、最近肩身の狭い思いをしている僕のボヤキだと思ってください。



今日はここで打ち止めにします。



それでは。

2016年5月24日火曜日

平成28年大相撲夏場所

本場所が終わってしまいました。。。



なんだか寂しいですね。でも二ヶ月後にはまた本場所があります!それまでスモロス解消になるかはわかりませんが、このブログもちょくちょく更新していこうかと思っております。



終わってみてば横綱白鵬関の強さをまざまざと見せつけられた。そんな本場所でしたね。千秋楽での鶴竜関との一番は決まり手のうっちゃりを狙いにいったような気さえしました。



スポナビライブでの放送終了後に能町さんと意見が合致し、西岩親方に尋ねたところ「さすがにそこまでは狙ってないんじゃないですか?」と仰ってはいましたが、真相は横綱本人にしかわからないので、この詮索はここまでとさせていただきます。




横綱白鵬関の圧勝ではありましたが、来場所以降楽しみな面も出てきましたね。僕にとっては十両がまさにそれでした。




前頭8枚目まで上り詰めた千代の国関でしたが、度重なるケガで一時は三段目まで番付を落としていましたが、今場所は見事十両優勝を果たし、帰り入幕が濃厚となりました。その他に佐藤、宇良が新十両でしたが二桁勝利をし優勝争いを面白くしてくれました。



本場所後の水曜日に行われる番付編成会議でどのような結果になるのか楽しみでもあります。



山響部屋の北播磨関念願の新入幕はあるのか?
僕と同郷(志摩市なので厳密には隣町)の木瀬部屋濱口の新十両は?


などなど、新しい楽しみもありますが番付発表にはもちろん番付を落とす人もいるわけで、気がかりな力士もたくさんいます。



僕が何かをしてどうにかなるなら何とかしたいくらいですが、そこは勝負の世界です。強ければ番付は上がり、負けてしまえば番付は下がる。残酷ですが勝負の世界とはそういうものなですね。




今、相撲界は場所休みという一週間の休暇に入っています。


場所休み中は「ちゃんこも作らない」「稽古もしない」「マゲも結わない」そうです。



以前、テレビに出演することの多い豊ノ島関に話を聞いた時には「場所休み中は床山さんも休みなので、チョンマゲが崩れないように、出掛ける前にいつもより多めに鬢付け油を付ける」とのことでした。どうしてもチョンマゲを結わなくてはいけない時は、休暇中の床山さんに部屋まで来てもらうため御礼のご祝儀を渡すことも少なくないそうです。



熱戦が続く本場所とは打って変わって、まったく何もしないというのもオンとオフが激しくて面白いですよね。



中には、場所休みを利用して帰省する力士もいるようです。ただ、お盆や正月ではないため、地元に帰っても友達と都合が合わず家族で過ごすことも多いようです。中にはそのまま相撲部屋に戻らなくなる若い衆もいるとかいないとか。笑



どちらにせよ、力士の皆さんは厳しい世界で生きていることに変わりはありません。その世界に魅了されて我々は本場所を観戦しているわけで、いつ何時もリスペクトの気持ちをもって大相撲を好きでいることが粋なファンへの近道なんじゃないかなと最近は強く思います。




では、今場所撮った写真でお別れです。





2016年5月22日日曜日

明日はいよいよ千秋楽

このブログを更新する少し前に大相撲夏場所の幕内優勝が十四日目にして決まりました。



優勝は横綱白鵬関。



しかし白鵬関は本当に強いですね。もちろん今日の対戦相手だった日馬富士関も強いんです。本当に素晴らしい一番でした。



千秋楽を待たずして優勝が決まってしまうということは少し寂しいようにも感じますが、最近つくづく思うんですけど、大相撲を競技やスポーツという観点で観てしまうと少しつまらなく思える時があるように思うんです。



もちろん優勝の行方は気になります。ですが、今場所のように千秋楽は消化試合みたいになってしまうのが少し嫌なんですね。どうせ好きになった相撲なんだから最後まで楽しみたいじゃないですか。



相撲って何?って質問をされたら迷わず「お祭り」と答えるようにしています。事実、相撲は古来から五穀豊穣を祈願するお祭りとして行われてきたわけですから、だから個人的には十五日間連続のフェスみたいな気持ちで本場所を観るようにしています。



もちろん贔屓の力士が勝てば嬉しいし、負ければ残念な気持ちになりはしますが、それでも十五日間が夢だったような、またすぐにこの「お祭り」が開催される。その日まで頑張ろうという気持ちになるのです。



僭越ながら、本日YouTubeにTSUNAのフォトコレクションの一部をアップしました。音楽の好みは僕のものなので違和感を感じる人もいるかと思いますが、一応海外の人に対して大相撲の魅力を少しでも伝えることができればなと思い作らせていただきました。


TSUNAフォトコレクション



お時間ある時にでも御覧になってください。サウンドはイタリアのバンドでANTHEMというバンドです。曲調だけは大好きでなんとなくイタリアのバンドにしてみました。




これで少しでも海外の人が相撲に興味を持ってもらえたらなって思うので、気に入ってくれたら拡散よろしくお願いします。




しかし、稀勢の里関は惜しかったですね。もちろん今場所で綱取りというのは無いでしょうが、それでも心を強く刺激してくれる相撲でしたね。もちろん叶いはしないのですが、こういう時だからこそ本場所終わりに晩酌してみたいです。いったい今何を考えているのか、どんな気持ちでいるのか、一番の理解者であるとするなら、その気持を聞いてみたいものです。




それでも明日はありますからね。千秋楽にいい相撲を取って名古屋場所に綱取りを繋げて欲しいなと心底思います。



明日は千秋楽で国技館へ行くため今日はそろそろ寝ます。


おやすみなさい。







2016年5月20日金曜日

スタートライン

どうも。


少し間隔が空いてしまいました。このまま放置すれば三日坊主ならぬ四日坊主になりかねないので、今夜は更新させていただきます。



書くことがなかったのか?と言われたら答えはNOで、少し忙しかったと言い訳させてください。



いやぁ、しかし本場所は盛り上がってますね。



と言っても、元々の人気に戻ったというのが前々から僕が言ってたことなのですが、相撲ってそもそも人気があるものですからね。ポテンシャルがあったと言いますか、そんなふうに思います。



でも、古くからずっと相撲を観ている、いわゆる古参ファンの方々は「にわかファンが増えた」「最近のファンはマナーがなっていない」なんて言ってるのを聞いたりするので、以前のブームだった頃にソックリそのまま戻ったのではなく、多少の循環もありながら新規客を獲得してきた結果なのかなぁと勝手に思っております。



今回はTSUNAの苦労話なんて辛気臭い話は無しにして、本場所のことを少し書こうかなと思います。



本場所十二日目が終了した時点で

全勝 白鵬関、稀勢の里関
2敗  日馬富士関

そして十三日目に白鵬-稀勢の里戦が組まれました。


本来、千秋楽結びの一番というのは横綱対決が組まれるのですが、十一日目終了時点で「もしかしたら割を崩して、千秋楽結びの一番は白鵬-稀勢の里になるのか?」と予想する声も聞こえましたが、そうではなくなりましたね。



稀勢の里関初の優勝を期待する声をよく耳にするので僕が知ってる話を書かせていただくと、昨年末に発行された大相撲ぴあというムック本を手がけたとき、僕は稀勢の里関にインタビューをさせていただきました。



内容は大相撲ぴあを買って確認していただきたいのですが、今年のニコニコ超会議で少し話しましたが、きっとめちゃくちゃ優勝したいんですよね。僕はこのブログで書いたように相撲ファン歴が長いわけでもないです。むしろここ6年くらいのもんですよ。そこまで専門誌を読み漁っているわけでもないし、独自の理解で楽しんできたので、過去にどこかで出ていたかもよくわからないのですが、稀勢の里関はあまり優勝というフレーズを明言しているイメージはなかったんですね。



だからこそ聞きたかったんですけど、大相撲ぴあで2016年は優勝したいと言ってくれた時にすごく嬉しかったんです。もちろん勝負師だから勝ちたいのは当たり前なんでしょうけど、口に出してくれた瞬間に僕も心を掴まれたところもあります。



そのインタビューのときに記事にはならなかったけど、稀勢の里関が好きな曲を知ることができたんですね。それが馬場俊英さんのスタートラインという曲でした。その歌詞をよく知ってほしいからオフィシャルじゃないけどリリックビデオっぽくなってる動画のリンクを貼っておきます。いい曲なんですよ。



カラオケでも歌うみたいだし、本当に普段からよく聴くそうです。素敵ですよね。そんな話を聞いてしまったら胸が熱くなってしまいました。夢が叶う瞬間を見てみたいものです。



しかし、対する白鵬関もとてつもなく高い壁です。過去の対戦成績は55回対戦していて白鵬関が42勝、稀勢の里関が13勝なので数字の上でも白鵬関が圧倒しています。稀勢の里関の勝率は23.636%です。しかし所詮数字は数字です。勝負事が計算だけで成り立つならそんな楽な話はありません。何が起こるかわからない。それが真剣勝負というもの。



とにかく明日の大相撲は楽しみで仕方ないです。それに十両の優勝争いも接戦で面白いんですよね。佐藤、宇良、千代の国、朝弁慶の四人の誰が優勝するのか楽しみです。



今日はこの辺りで打ち止めにしておきます。



それではまた。






2016年5月13日金曜日

奇跡の再会と崩れた均衡

酉年生まれの竹内一馬です。



相撲界では2本足で立つ鶏が縁起が良いとされており、ちゃんこ鍋には鶏肉を使うことがほとんどだそうです。



今回は僕が生きる希望を与えてもらえた2010年九州場所より少し前に起こった偶然を書いていきますね。



2004年末頃、亀戸の路上で僕が歌っていた「朋輩」がCD化させてあげるという奇特な音楽事務所が現れまして、目の前にぶら下げられた人参に、これ以上ない食いつきをみせる竹内一馬。当時住んでいた江東区亀戸から所属事務所が近くなる中野区東中野へと引っ越しをします。今回は奮発してユニットバス付きです。銭湯通いしなくてよくなりました。



しかし2005年2月に発売された朋輩のCDも全く売れず事務所の人たちも困り果てていました。顔文字で表すと(-_-)こんな目で僕達を見てくれていました。



当時のバンドメンバーと緊急会議を開き「こうなったら知人に電話しまくって1枚でも多く売るしかない!」という結論に至り、地元の友人、親、友達の元カレ、初恋のあの子まで…必死で電話営業をしていました。



その中に豊ノ島関もいるわけなのですが、この時既に彼は幕内力士。少し前まで路上で朋輩を聴いてくれていたのに、なんだかちょっと昇進が早すぎて遠い存在に感じ、電話をする直前にためらったのを覚えています。



いくら仲が良くても幕内力士に自分達の売れていないCD買ってくれないか?なんて図々しくて普通の思考回路なら言えません。しかし僕がバカで良かった。電話しちゃうんですよ。



そしてタイミング良く彼も電話に出るんですよ。今思えばとても失礼な事をしていたのですが当時24歳だった僕も必死でした。




僕「あの朋輩って曲あるやん?あの曲CDになったんよ。それでもし良かったら…かっ…買ってくれんかな?」←はいバカ



豊「ホントに?おめでとう!100枚買うわ!」



最初僕は冗談だと思っていましたが、豪快な豊ノ島関は本当に100枚買ってくれたのです。しかも当時関取衆や若い衆に「僕の友達が出したCDなんですよ」と言い、配ってくれたのだそうです。



事務所の人もビックリしていましたが彼のおかげで僕達は首の皮一枚で生き残ったわけです。




豊ノ島関にお礼を言おうと思い、携帯電話を手にした時に悲劇が起こります。




携帯を洗濯機の中へ落としてしまうのです。これにより全ての連絡先が消えてしまいました。今思えば直接お礼を言いに時津風部屋まで行けば良かったのですが、そこまで頭が回らないのが24歳の僕。




そのまま月日は流れ「朋輩」を歌っていたバンドは一瞬の日の目も見ずに解散。時は2008年、気が付けば豊ノ島関は三役も経験しています。出会った頃は同じような境遇だったのに日々の稽古のおかげで彼の夢への距離と、僕の夢への距離の差は開くばかり。依然連絡も取れず僕はそれでも自分の夢に向かいアルバイトと音楽活動を続けます。



話は変わり、携帯電話やインターネット、20年前とは比べ物にならないくらい世の中の通信手段は進化しました。皆さんの周りでもtwitter、LINE、facebookなどなどSNSの名前を耳にすることもあると思います。



2008年頃僕はmixiというSNSをやり始めていて、そこで自分が1981年6月20日生まれなので「1981年6月20日生まれの人」というコミュニティと呼ばれるグループを作り管理人をしていました。



最初は「何人くらい同じ生年月日の人がいるんだろう?」という軽い気持ちで始めたわけですがコミュニティ参加者は200人を超え当初予想していた人数を多く上回ったのです。



そのコミュニティ参加者の中に当然同じ生年月日で、さらに同じ竹内という苗字で、さらに同じく音楽活動をやっている女性がいたのです。



当たり前ですがネット上で知った存在だったので面識はないのですが、その人が更新しているブログの画像やライブ映像を観ると歌も上手だし美人だし、僕は勝手に「この子と結婚するならプロポーズの言葉は苗字も変わらないし誕生日パーティーも一回で盛大にやろうね。子供は音楽やってくれるかな?ってこところだな」なんてあらぬ妄想を膨らませていたのですが、無残にも彼女が更新したブログでその妄想は打ち砕かれます。



久しぶりにmixiを開いたので同じ誕生日で美人の竹内さんはどんな近況かな?と思い彼女のページを覗いてみると「☆ご報告☆」というタイトルのブログが更新されていた。そのブログは1ヶ月前に更新をされていたのですが婚約発表という内容でした。僕のネット上での恋は破れたわけです。(当たり前)



こうなったらどこの馬の骨と結婚するのか気になるわけで、泣く泣く読み進めていくと、なんとそのお相手は連絡が取れないままになっていた豊ノ島関だったのです。



これには正直鳥肌が立ちました。驚くも何も大興奮です。朋輩の結婚とネット上の失恋。当然軍配は朋輩の結婚に挙がるわけですが、その朋輩の連絡先がわからない。どうしたもんかと考えた結果、mixiのメール機能を使い竹内沙帆さんに初めてコンタクトを試みるのです。




数年前に亀戸の路上で仲良くなったこと、自分が朋輩という曲を歌っていたカズマだということ、CDを買ってくれたお礼を言いたいこと、携帯が水没して連絡先がわからなくなっていることをお祝いの言葉と共に書き殴りました。僕の連絡先を添えて。




すると数分後僕の携帯に登録されていない、知らない番号からの着信がありました。借金の催促かキャバクラの営業電話かと思い、一瞬居留守を使おうか迷いましたが、とりあえず電話に出てみると第一声が



「一馬久しぶりっ!豊ノ島やで!」



という優しく、あの頃と何も変わらない声で電話を掛けてきてくれたのです。




僕は胸の高鳴りを抑えられませんでした。再び繋がることができたのが嬉しくて嬉しくてなかなか上手く喋れませんでした。



後日談ですが、ちょうど結納の帰りに僕のメールに気付いた沙帆さんが隣にいた豊ノ島関にそのメールを見せて電話をしてきてくれたそうです。



このように数年ぶりに再会を果たし、この後2010年の11月九州場所で熱い感情を相撲と豊ノ島関から感じた勢いで相撲を知りたくなり、書店に相撲の専門誌を探しに行ったわけですが、相次ぐ不祥事により3誌あった専門誌も2誌が事実上の廃刊、残ったのはベーズボールマガジン社の月刊相撲しかありませんでした。しかし、相撲ビギナーの僕にはちょっとハードルが高すぎました。もちろん今となっては月刊相撲は素晴らしい雑誌ということはわかっていますが、当時の僕にはということです。


もっと若い人たちに相撲の素晴らしさを知ってもらわなくてはいけないのに、ビギナー寄りの情報が少なかったのです。



でも相撲界の人気低迷を何とかしたい。やはりこれからの未来を切り開いていくには若い人達が中心になっていかなくては未来はないという考えもあり、熱い気持ちになれる相撲をもっと若い世代に知って欲しいという思いから、編集なんて仕事をしたことがないですから、お金をもらえるような物は作れない。だったら「無料で」「相撲の入口になれる」そんな相撲のフリーペーパー「TSUNA」を作る決意を固めたわけです。



さて、大相撲五月場所五日目が終わりました。


結びの一番では勢関が横綱鶴竜関を破る殊勲の星。平幕と呼ばれる、いわゆる前頭が横綱に勝つことを金星といい、三役の関取が横綱を破っても金星とは言いませんので、今回の勢関の場合は殊勲の星となるわけです。


これで全勝は白鵬関、稀勢の里関、豪栄道関になりました。


明日から中盤に突入していきます。今場所は立ち合いで手をつくことが厳格化されたようで、今までのような立ち合いでは成立しない取組もちょこちょこあります。それが全勝の力士にどう影響するのか。その辺りが重要になってくるように思います。


明日からも全取り組みから目が離せません。




2016年5月9日月曜日

優勝決定戦と相撲が跳ねてからのオススメコース

三日坊主にならないよう頑張っらないといけませんね。力士がインタビューなどで「一日一番集中して」という言葉をよく使っていますが、一日一更新とまではいきませんが、可能な限り頑張りたいと思います。



本場所中はいいのですが、それ以外の時はできれば巡業のことや僕が企画している抱きしめてツナイトというトークイベントの話なんかも書いていきたいですね。



さて、今日は先にTSUNA創刊の経緯の続きを書いていきます。



売れないCDを売ろうとして日々路上で歌う竹内とは逆で、豊ノ島関は順調に番付を駆け上がっていきました。



豊ノ島関が幕下四枚目で臨む本場所前に部屋でちゃんこ番が上手くできず兄弟子に叱られ、それが悔しくて「絶対今場所で関取になってやる!」と相撲部屋内にある支度部屋で涙を流していたそうです。



僕が歌っていた朋輩には「僕達は泣いた分だけ強くなれる。優しくなれる」という歌詞があります。彼はこの歌詞をたいへん気に入ってくれていました。



豊ノ島関は「絶対関取になってやる!というハングリー精神があったからこそ、あそこで関取に上がれた」と言っていました。何かそこで朋輩と彼の状況がリンクするものがあるように思います。



最近になって聞いたのですが、そのとき豊ノ島関を叱った兄弟子は「豊ノ島が一気に番付が上がっていって、先に入った自分を追い抜いて、もうすぐ関取になれるという時、俺はさみしかったんだと思う。」ともおっしゃっていました。同じ大部屋で過ごし、同じ釜の飯を食べて育つものの、強い者だけが生き残れる世界、そういった一面もあるんですね。どちらかというと僕は兄弟子の気持ちもわからんでもないなと思う反面、豊ノ島関の強さにただただ驚くのだけでした。




そして見事関取昇進を決める豊ノ島関。一方、僕も音楽での前向きな話があり当時住んでいた亀戸から所属事務所が近くなる中野区東中野へ引っ越しをします。



その引越し先で洗濯機に携帯電話を水没させてしまい一切の電話帳データが消失。実家、親、兄弟、恩師、バンド仲間、元カノ、もちろん豊ノ島関も。彼も忙しくなりお互い連絡を取れない状況で、その後奇跡の再開を果たすのですがそれはまた別の機会に書かせていただきます。



連絡は取れないけれど、彼の活躍は時折テレビで拝見していました。出会ったころ僕は「絶対ロックスターになるから!」と話していたのですが、それに対し豊ノ島関は「俺はなるべく18時に近い時間で相撲を取れる力士になる!」と言っており、彼が番付を上げることが刺激になり音楽活動を頑張ろうという気持ちになりました。



そんな刺激を彼から受けながらも連絡は依然取れないまま時間は流れ、2010年11月の九州場所。



そのころの僕は豊ノ島関と出会ったころのバンドは解散していて、2011年3月に予定されていた国内ツアーと4月の台湾での野外フェスをもって当時所属していたバンドの脱退が決まっていたころでした。



この先また新たにバンドを組むのか、どこかのバンドに加入するのか、そもそも音楽活動を続けるのか、それとも29歳という年齢もあり、田舎の三重県南伊勢町に帰って仕事を探すのか、それすら決まっていない宙ぶらりんな毎日をなんとなく送っていました。



深夜のスポーツ番組で豊ノ島関が13日目で12勝1敗の成績であることを知ります。翌日の14日目も見事に勝利。千秋楽の本割も勝利し、結びの一番で横綱白鵬関が負ければ豊ノ島関の優勝。



結びの一番は白鵬関が勝利し、豊ノ島関と白鵬関の優勝決定戦となります。かつて「なるべく18時に近い時間で相撲を取る」と夢を語った彼が、今まさに夢を叶える瞬間を見た気がして僕は涙が止まりませんでした。諦めず辛抱強く稽古を重ねて今この瞬間があるのかと思うのと同時に、宙ぶらりんな生活を送っている自分の情けなさ、惨めさ、不甲斐なさ、いろんな感情が僕の中を駆け巡りました。



結果的に豊ノ島関は白鵬関に負けて優勝を逃してしまいます。それまでは「友人に力士がいるから」という理由だけで相撲を観ていましたが、中途半端な日々を過ごす僕にとっては明日を一生懸命生きるために必要なエネルギーを充分すぎるほど与えてもらいました。



この頃からようやく大相撲が好きになったわけです。ちなみにこのときはまだ三役全員の四股名も知りませんでしたし、相撲部屋も時津風部屋しか知らないほどでした。



そんな僕がフリーペーパーを作るに至るのはまだ少し先の話なので今回はこれくらいにしておきます。




さて、本場所初日は大関、横綱が盤石のスタートを切りました。このまま千秋楽まで全員が勝ち続けることはありません。どこかで均衡が崩れます。それが今日なのか、明日なのか、本場所から目が離せませんよ。



今日は最後に竹内的大相撲観戦後の遊び方を書いて終わります。



本場所を観戦すると「せっかく両国で相撲を観たのだからちゃんこ鍋を食べて帰りたい」こう考えるのは当たり前だと思います。かつて僕もそう考えて当日に両国界隈のちゃんこ屋さんを検索して予約しようとするのですが、どこも予約で満席なんですね。


そこで!



一度TSUNAでも特集したのですが、昔の人たちは両国で相撲を観戦した後に浅草で美味しい物を食べて遊郭で遊ぶというのが粋な遊び方だったようです。


本場所開催中は国技館の前にある水上バスが18:20出発浅草行きの臨時便を出しており、これに乗って隅田川を渡り、浅草に向かうのがオススメです。隅田川から眺める景色は未だに下町の雰囲気が残っていて、季節によってはライトアップされたスカイツリーを眺めることもできますからデートにもいいですね。



浅草まで行くと予約をせずに入れる店も多く、いろんな飲食店があるので街を歩きながら選ぶことができていいです。それでも、どうしてもちゃんこを食べたいというのであれば、浅草にちゃんこ場というTSUNAにも広告を出してくれているお店があるので、そこがオススメです。




懲りずにまた書きますので次回の更新をお楽しみに!









2016年5月8日日曜日

お祭り開始

本日5月8日から大相撲五月場所が始まりました。



本場所は力士が日頃の稽古の成果を発揮して番付(ばんづけ)と呼ばれる相撲界の強さを表すランキングがあり、それをひとつでも上のランクになれるよう真剣勝負を行います。



ルールは至って簡単で、丸い土俵の外に出るか、足の裏以外が地面に着いたら負けとなります。他にも8つの反則があるのですが

①握りこぶしで殴る。
②頭髪をつかむ。
③目またはみぞおちなどの急所をつく。
④両耳を同時に両手で張る。
⑤前立褌をつかみ、または横から指を入れて引く。
⑥のどをつかむ。
⑦胸、腹をける。
⑧指をもって折り返す。



②の頭髪をつかむというのは勝負の流れの中でチョンマゲに手がかかってしまうことがあり、しばしば目にすることがありますが、他の反則は基本的に目にすることが少ないですね。




番付は序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内の順番が強さの指標となっていて、幕内が一番強いということになります。幕内には平幕と三役で強さが分かれていて、前頭○枚目という○の部分に入る数字が小さいほど強いということになり、一枚目は筆頭と呼びます。筆頭の上が小結、関脇、大関、横綱という順で強くなっていきます。



番付は基本的に勝数が負け数を上回れば「勝ち越し」、逆に勝数が負け数を下回れば「負け越し」となり、勝ち越しは番付が上がり、負け越しは番付が下がるようになっていて、力士は少しでも上の番付を目指し、日々稽古を重ね、本場所の取組に挑みます。



今日から十五日間の本場所は力自慢たちの熱い闘いから目が離せません。



順番が逆になってしましましたが、僕がTSUNAを創刊した経緯について少し書かせていただきます。



元々ロックバンドをやっていた僕がどのようにして相撲の世界と出会ったのかということですが、僕が過去にやっていたバンドは全くと言って良いほど売れませんでした。数枚のCDをリリースしたものの買い手がいないので在庫の山を抱えることになるのです。作っている時は「これで世界が変わる」とまで思っていたわけですが、僕たちは世界を変えることができませんでした。



2002年頃、僕が江東区にある亀戸に住んでいました。家賃3万円で隣人が新聞をめくる音が聞こえるほどの壁、風呂なし、日当たりなしのボロアパート。



部屋で練習をしていると隣人が「うるさい!静かにしろ!」という意味を込めて全力で壁をぶん殴ってくるようなクレイジーなアパートでした。当然自宅での練習はできず、しかし毎日スタジオに入っていれば経費もかかるので、当時流行っていた路上での弾き語りを亀戸駅前で開始しました。



日々、酔っぱらいに「下手だね」と罵倒され、たまに人が立ち止まって聴いてはくれるものの、在庫のCDを購入するまでには至りません。しかし諦めるわけにもいかない。


そんなとき、3人の大柄な男が僕の目の前に現れて「何か歌ってよ」と言ってきたのです。


浴衣姿にチョンマゲの大柄な3人。。。


コスプレでないかぎり彼は力士だということがひと目でわかった。三重県南伊勢町という海と山しかない田舎で育ったので生で力士を見るなんて生まれて初めて。興奮した僕は


「何部屋なん?」


と彼らに聞くと「テディベア」「徹子の部屋」「ベルトコンベア」と、まとも答えてくれませんでした。でも、せっかく立ち止まってくれたのだから一曲歌わせいただきました。


歌い終わったあと、その曲が入っているCDを買ってくれた力士が現在幕内で活躍をする豊ノ島関だったのです。出会った頃はまだ序二段だったかと思います。



歳も近く、お互い大志を抱いて上京しているということもあり、僕たちはすぐに仲良くなりました。



「朋輩」という言葉があります。友達という意味で使うのですが、僕はこれをずっと地元三重県の方言だと思っていました。当時豊ノ島関が気に入ってくれていた曲が親友のことを思い歌っていた僕達の「朋輩」という曲でした。



豊ノ島関の地元高知県宿毛市でも朋輩という言葉を使うようで、そう言った面でも僕は親近感を持っていたのかもしれません。「俺の地元も朋輩って言葉を使うよ」と言ってくれた時に一方的ですが、僕はとてつもない親近感が湧きました。



今でも一緒に食事をしたりすると豊ノ島関が必ず言うのですが、当時お相撲さん三人組で自転車に乗っていて「なんか良い歌だな」と思い、気になったので兄弟子を止めて「ちょっと聴いていきませんか?」と言ったのは俺なんだよと彼は言います。

僕が何かの間違いで売れっ子ミュージシャンになっていたら豊ノ島関と出会うことはなかったと思いますし、入門間もない豊ノ島関が兄弟子を止めてくれなければ僕は相撲と何かしらの接点を持つことはできなかったと思います。


今、書き終わってみてテレビで相撲が始まったので今日はこれまで。
では、また次回!


2016年5月7日土曜日

決戦前の土俵祭り

はじめまして。



相撲情報誌TSUNAという相撲のフリーペーパーを作っている竹内一馬です。



アメブロでもやってはいたのですが、バンドの頃のことも書いていたし、なんとかく心機一転という感じにしたかったので、新しく開設してみました。



書いていくことは相撲の内容が主になるわけですが、本誌に書ききれなかったり載せきれなかった写真、タイミングの問題などで本誌に載せるに至らなかったことなんかを書いていこうかなと思っています。


そもそもTSUNAとは「格式が高いと思われがちな相撲をもっと身近に!もっとフランクに!」というコンセプトのもと2012年9月に創刊されたフリーペーパーです。2012年といえば相撲界の相次ぐ不祥事によりファン離れが深刻化。3誌あった相撲の商業誌も1誌を残して事実上の廃刊となっていたころでした。そんな時になぜ相撲のフリーペーパーだったのかというは、次の機会にでも書かせていただくことにします。

どちらにせよ、ここを読んでいただければ「ちょっと興味があるけどなかなかとっつきにくい」「最近ハマッたばかりで、もう少し相撲について知りたい」と言った方々に楽しんでいただけるよう頑張ってみます。もちろん、そうでない方も楽しんでいただければ嬉しいです。



さて、今日は明日から始まる本場所を前にして両国国技館では「土俵祭り」という前夜祭的なものが朝から行われました。


相撲の本場所は奇数月の第二日曜から始まり二週間後まで開催されるのですが、その十五日間が無事に終わりますように!と願いを込める日なのであります。



そもそも相撲とは神事ですから、祈ったり、供えたりするのが多いのです。実際土俵祭りでは土俵の真ん中に穴を開けて、お酒やら塩を入れて祈願するのです。しかも実際の神主が来るというわけではなく、取組の前に「ハッキヨーイ!ノコッタ!」と掛け声をかけて勝負を裁く行司さんが神主をするわけですが、あの国技館がピリッと張り詰めた空気というのは独特で一度は体感してみてほしい相撲の一部分でもあります。



悪いこともしていないのに、勝手に背筋がピンッとなると言いますか、本能的にビシッと背筋が伸びてしまうんですよね。



時間は朝の10時頃から始まり入場は無料。だいたい20分くらいで終わります。


土俵祭りで祈願をしたら、さぁ明日から本場所だ!となると思ったら大間違い!相撲ファンの兄弟子たちは、国技館で本場所が開催される時はそのあとにも相撲塾というイベントに参加をしている!相撲塾がなんなのか?というのは次回の更新で書こうかと思います。